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1.火の使用が決定的だった

 人類にとって、火の利用が重要であったことを改めて認識させられる書がある。従来の農耕や初期国家についての定説を覆すような問題提議がなされた『反穀物の人類史』に、初期人類における火の使用が多大な自然環境への影響、食物利用の飛躍的拡大、人類そのものの進化をもたらしたという、たいへん有意義なものであることが特筆されている。
 わかりやすい例として、南アフリカで発掘された洞窟からの調査があげられる。もっとも古い層に火の使用を示す炭素堆積物はなかった。そこには大型ネコ科動物の全身骨があって、他には、ヒト科の一種であるホモ・エレクトスを含む動物の骨片が歯形を残して散らばっていたという。もっと上の時期の新しい層には、炭素堆積物があって、ホモ・エレクトスの全身骨格があって、様々な動物の骨片が散らばり、大型のネコ科動物の骨もあって、かじった痕跡があるという。すなわち、火の使用を境に、洞窟の主、食う側が変わったことを示しているという。
 ただ暖を取るとか、夜行性動物からの安全対策だけではなく、火のパワーの効能は計り知れないという。最古の火の使用は40万年前だということだが、自然の景観を大きく変える役割も果たし、火によって、古い植生が焼き払われ、人間にとって利用しやすい種子やナッツなどが実り、そこにこれも獲物となる小動物も集まったのだ。さらに、初期の人類は火を使って大型の獲物を狩ることもしていたという。弓と矢が登場するずっと前(約2万年前)には火を使って、動物の群れを崖から追い落としたり、象を穴へ突き落したりしていたという。
 また調理をすることも人類の進化に多大な影響を与えている。加熱して消化しやすい食べ物をとることで、腸の長さがチンパンジーの三分の一ほどになったという。さらに動物の肉の殺菌などで、利用できる動物種も拡大し、栄養摂取も改善し、そういったことで脳のサイズは急速に拡大した。このように、火の使用こそがホミニド(ヒト科総称)の未来を変えたといえるのだという。

2.映画『2001年宇宙の旅』の冒頭シーンの問題
 
 以上のような意義あるものなのだが、人類史における火の使用は、これまで過小評価されてきたようだ。そのわけは、火の活用による影響が数十万年に渡って広がったものであり、これを行ってきたのが「未開人」すなわち「文明以前の」人々であったからだという。実は、このような人類にとっての火の使用の意義が、当たり前すぎて重要視されてこなかったことが、著名な映画にも表れているのではと思ったりしている。
 今も語り継がれるキューブリック監督のSF映画の傑作『2001年宇宙の旅』だが、その中の冒頭の場面には、類人猿の集団どおしの争いで、謎のモノリスからの示唆?で骨を武器に使って相手を打ち負かし、やがて、空高く放り投げられた骨が宇宙船に変わるという名シーンが描かれる。
 だが、先ほどから述べてきたように、火の使用が人類進化にとって決定的なものであるならば、このシーンでは、モノリスは初期人類に、火を使いこなせるように、発火法を伝授?したとするほうがよりリアルではなかったかと思うのだがどうであろう。
 類人猿の集団の前に突然現れた物体モノリスによって、彼らは、火を起こすことができるようになる。板切れに、棒状の木を繰り返しこすりつけ、やがて煙が生じだすと、獣毛などを火口(ほくち)としてそこに近付け、そっとやさしく息を吹きかけて炎が上がるようにする。初期人類が、火を自ら生み出すことができた感動の瞬間だ。だがはたして、これは映画としてはどうであろうか。モノリスの前でしゃがみこんで、ちまちまと板と棒を使って発火作業を行う様子など、はっきり言って絵にはならないかもしれない。もし、発火シーンのアイデアがあったとしても、キューブリック監督は、骨を武器にした戦闘シーンこそ映画にふさわしいと、差し替えたであろう。
 武器という道具を発明することも画期的ではあったと思うが、それ以上に火の使用は、自然界にも多大な影響を与える重大な意義あるものであった。

火起こし体験
 写真は、大津市歴史博物館の火起こし体験 真剣取り組む子供たちだが、このキリモミ式発火法は13名挑戦したが、成功者はいなかったという。慣れないと難しいようです。

3.発火法のはじまりの謎

 モノリスは作り話としても、さて人類は、どのようにして発火法を生み出したのか。それは、摩擦法だけではなく、黄鉄鉱を火打金として使うことも、早くから見出していたのであろうか。アイスマンが、5300年前に黄鉄鉱を使っていたとするなら、それよりももっと早くから利用していた可能性はある。また白鉄鉱も火打金になるようだ。初期人類は、石器の作成過程で、早くから火花が出る石があることに気が付いていたであろう。火打金のほうは、鉄の生産がはじまってからなのでずいぶん後のこととなろうが。
 前回にも述べたが、戸外で過ごす狩猟活動の際に火は欠かせない物であったが、そのために打撃法による発火がけっこう行われていたのではないだろうか。摩擦法のキリモミ式よりは、火打の方が戸外では便利だったのではないか。縄文時代には落とし穴と思われる遺構が無数に発見されているが、縄文人も、獲物を火を使って追い詰めることもしていたかもしれない。落とし穴を用意して、じっと獲物が罠にはまるまで待つだけではなかったはずだ。この縄文時代に黄鉄鉱や白鉄鉱などが火打ちとして使用されたものが見つからないのであろうか。また、古代の火打石の方も、資料が少ないようだ。 
 「各種チャート、頁岩、黒曜石、長石、サヌカイトなど、旧石器・縄文時代に各地で選択された石材が、当時から火打石として使われた可能性は考えられないであろうか」(小林2015)として、発掘担当の方々に、火打石としての利用の認識を求めておられる。今まで見過ごされていたものが、再発見されていくことを期待したい。

 参考文献
ジェームス・C・スコット「反穀物の人類史」立木勝 訳 みすず書房2019
小林克「火打石研究の展望」考古学研究62-3 2015

冒頭の映画シーンは、YouTube 
2001: A Space Odyssey - The Dawn of Man Art Historyより
火起こし体験は、大津市歴史博物館ブログより