流砂の古代

古代史の誤解や誤読、近畿一元史観ではなく多元的歴史観についてや縄文の話題などを取り上げます。

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2.スサノオから試練を受けるオホナムヂ(大国主)
  オホナムヂが大国主神として成長する物語について、次のような解説がある。「蛇やムカデ、蜂の室に入れられ、さらに野火攻めに遭う話は、成年式儀礼として若者に課せられる苦難と試練とを、神話的に語ったもの」(古事記講談社文庫解説)とされる。そうしてスサノオの神宝を手に入れて、祭祀王の資格が認められ、葦原中国の首長としての大国主神として新生する。
 ほんとうにこのような儀礼があったのかと思ってしまうが、それよりも試練を受けることになるのが話の進行からして、やや唐突に思えるのである。兄弟の神々に恨まれてオホナムヂは二度も殺されては蘇生されて息を吹き返すも、さらに追手がせまったのでスサノオのいる根の国に避難するのである。そこで娘のスセリビメはたちまち気に入るのだが、命からがら逃げてきたオホナムヂに、スサノオは、何の説明もなくすぐに蛇の室に入れるのである。次にムカデ、蜂の室に入れ、さらには、野火に囲まれてあわや焼死しそうになる。何か、この一節ははめ込まれた感じがするのである。
 実は『魔笛』にも王子タミーノがザラストロから、沈黙の試練を受け、さらにパミーナといっしょに火と水の試練を受ける場面がある。ザラストロは、「われらの試練の神殿へ案内せよ」と命じるが、オホナムヂが入るのは室なのである。次に野火に攻められるのだが、スセリビメは野火に囲まれたオホナムヂを死んでしまったと早合点して、葬式の用具を持って泣く場面がある。
 パミーナも、王子のタミーノが沈黙の試練の最中であることを知らずに、声をかけても返事がないことから、自分はタミーノに捨てられたと絶望する場面がある。
 最後に、試練を乗り切ったオホナムヂはスサノオの神宝を持って、スセリビメと一緒に逃げていく。するとスサノオは彼らに、「太い宮柱で空高くそびえる千木の宮殿に住め」と言うのだった。
 一方、ザラストロは試練を乗り越えた二人に「試練に勝った、さあ神殿に入るがよい」と言っているのだ。
 このように古事記のオホナムヂが唐突に試練を与えられるのも、似たような話が取り入れられたからだと考えればよいのではないか。

3.『魔笛』と古事記に共通のプロットがある理由
『魔笛』と日本とには不思議な関係がある。『魔笛』の物語の冒頭で登場するタミーノは、「日本の狩りの衣装」(japonischen jagdkleid)をまとっているのである。しかも彼は、すぐに蛇に襲われてしまい、そこを三女神が救う。どこまで似ているのかと思ってしまうが、この日本の衣装というのは自分の楽屋の衣裳部屋に、日本の狩衣と呼ばれたようなものがあったので舞台に用いたとの説明がある。当時のヨーロッパでは日本の浮世絵などとともに、着物も好まれて「ヤポン」と言われていたようだ。フェルメールも着物を羽織った人物を描いている。着物の類いが楽屋にあったのかもしれない。だがいっしょに古事記の話が伝えられたかどうかは定かではない。
 『魔笛』との相似から古事記が参考にされたとは考えにくいが、その逆はどうであろうか。だが『魔笛』の物語そのものも、シカネーダーが参考にしたとされる種本がいくつも指摘されている。ところがそれらの物語のプロットも古来からの伝承や、宗教的な説話を参考にして作られたと思われる。その参考にした古来の物語のプロットが東方へも伝承され、古事記にも使われたと考えられるのではないか。そこにはギリシャ神話やゾロアスター教の教義などの要素も考えられるだろう。タケミカヅチの『ベーオウルフ』も同じような事情であろう。
 魔笛には認められないのだが、古事記のサホビメの一節に次のような表現がある。城に籠ったサホビメを引っ張り出そうとするのだが、「爾握其御髮者、御髮自落」 髪をつかむとその髪が自然に落ちたという。これはカツラのことではないかという指摘がある。ユーラシアでは早くから使われていたようだが、日本ではどうであろうか。これも外来の説話のアイデアを利用したものかもしれない。
 『魔笛』と相似形の古事記の説話には共通する大陸由来のプロットが関係していると思われるが、それがどうして日本にまでやって来たのか。この垂仁記には、田道間守が非時香菓(ときじくのかくのみ)を求める説話があり、私はその話のプロットもシルクロードにあったものと考え、他にも山口博氏の指摘されたスサノオに関わる北方騎馬民族の習俗との一致などを説明しているが、こういった様々な物語が大陸で収集され伝播する担い手が存在することや、またサホ兄妹が最近親婚(父母と子、兄妹など、より近しいものどおしの通婚)の関係であると考えられること、さらにサホは薩保(キャラバンのリーダー)に由来するといわれていることから、それはソグド人との関係を示していると考えている。東アジアのみならず日本にも彼らがやってきて、記紀の編纂にも関わったのではないかという可能性を今後も検討していきたい。
 
参考文献
新井秀直『魔笛 モーツァルト』音楽之友社 2000 
クルトホノルカ『「魔笛」とウイーン 西原稔訳 平凡社1991
『古事記』全訳注 次田真幸 講談社1977     

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 モーツァルト晩年の傑作オペラである『魔笛』(初演1791年)は、楽曲そのものの評価とは別にその物語には矛盾があるとか、善悪が途中で逆転するといった批評がある。なんでも作者のシカネーダーとモーツァルトは共にフリーメーソンに加入しており、その教義が筋書きに使われたとか、登場人物のザラストロの名前がゾロアスター教と関係しているとかも言われている。だがそれ以上に、私には気になることがある。それは、物語の要所要所に日本の古事記の説話となにやら似たようなものを感じるのである。気づいた範囲でその箇所を書き出してみたい。

1.古事記のサホビコ(沙本毘古)とサホビメ(沙本毘売)の説話
 垂仁天皇記には、后のサホビメと兄のサホビコの兄妹が図って天皇殺害を目論むが失敗に終わり、城に逃げ込んで抗戦するも、二人とも亡くなり子のホムチワケ(本牟智和気御子)だけ救い出される説話がある。日本書紀にも同様の内容をさらに詳しくした記事がある。
 『魔笛』では、王子タミーノが神殿に仕える大祭司のザラストロから試練を与えられるも無事に乗り切り、夜の女王の娘パミーナと結ばれることになる。そのパミーナは夜の女王からザラストロの殺害を命じられるが、はたせず悩んだ挙句、相手のザラストロに白状してしまう。実はザラストロが善人で夜の女王が悪役だったのであるが、実母である夜の女王が娘のパミーナに、「お前は彼を殺し偉大な太陽の環をその手に戻すのです」と言う。
 一方の古事記では兄であるサホビコは妹のサホビメに、「お前が私を愛するのなら、二人で天下を治めよう」と天皇殺害を命じる。これは殺害動機に「太陽の環」の奪取、「天皇の代わりに二人で天下を治める」という大義名分、動機を語っているのではないか。
 次に、夜の女王は娘に「お前がザラストロに死の苦しみを与えないならば、もう親でもなければ子でもない」と決断を迫って、短刀を渡すのである。有名なアリアの歌われるシーンである。またその短刀について、夜の女王は「ここに短刀がある。これはザラストロのために研がれたもの」と特別にこしらえた刀物であると語っている。
 サホビコの方は、妹に「夫(垂仁天皇)と兄のどちらを愛しているのか」とせまり、紐小刀を渡している。原文では「八塩折(ヤシホオリ)の紐小刀」で、何度も繰り返して打ち鍛えたという意味であり、この場合も特別に作られたものだと説明しているのである。
 だが、殺害計画は未遂でおわる。パミーナは悩んだ末に、ザラストロに母から殺害を命じられたことを告白する。するとザラストロは「罪はあの女にある。お前の母親は自らを恥じて自分の城に引き返すことになるだろう」といってパミーナについては許そうとしたのである。
 サホビメも、天皇を殺めることなどできずに、天皇に気づかれて、すべてを白状してしまう。天皇は討伐軍を出すが、サホビコは稲城を作ってそこに入って戦うことになり、サホビメも城に入るが、天皇は最後まで后であるサホビメを城から救出しようとしたのであるが失敗して子供を残して二人は絶命する。
 相手が城に逃げるところと、殺害に失敗したパミーナとサホビメはともに許されるところも共通だ。
 以上のように、近親のものが殺害を命じる、そこに大義名分を語り、その際に脅すように相手を従わせ、特別に準備した小刀を用意する。だが未遂に終わり、相手に白状してしまうが、その罪は許し、首謀者の方は城に逃げる。酷似しているとまでは言い切れないが、それにしても似たようなプロットである。しかし、この相似形は、別の説話にも見受けられる。それは大国主の話だ。(つづく)

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