栄山江の問題にふれたが、古代の朝鮮半島の一角に倭の支配地があったという考えは根強くある。甲冑の出土もその根拠となるといった見方もされている。現在の研究者の大方は冷静にとらえているのだが、なかには佐原真が騎馬民族説を否定する中で、気になる指摘をされている。私は賛同しかねるが、佐原氏はこの書の中で、騎馬民族は差別の思想だとされるのだ。その理由としてナチスに関する問題に言及されている。こうした思考方法は、ナチスのゲルマン民族優越史観と共通するのだという。アジア諸民族の蔑視につながり、特定の民族に能力を認め、他を認めない点が問題だという。
そこでドイツの考古学者グスタフ=コッシナの主張を紹介している。
「厳密に地域を限ることのできる考古学上の文化領域は、いつの時代でも特定の民族または部族と一致する」
ナチスはこのコッシナの考えを利用し、周辺諸国はゲルマン民族の故地という口実に使われたようだ。
そのあと佐原氏は、何故かよく似た「公理」を主張する人がいるとして、古田武彦氏の『ここに古代王朝ありき 邪馬一国の考古学』の一節を出されている。
「一定の文化特徴をもった出土物が、一定の領域に分布しているとき、それは一国の政治的、文化的な文明圏がその領域に成立していたことをしめす。」
なるほど、確かに似ている。佐原氏は自分で発見されたのであろうか。そういわれると思い当たることが。古田氏は、任那日本府の存在について否定するのではなく、ヤマトではなく九州王朝の組織だと主張されている。
そして佐原氏は、最後にドイツのローマ考古学者H=J=エガ―スの言葉を紹介して最後を締めくくっている。
「ある特定の考古学的文化が、ズバリそのまま一つの民族集団の存在を反映するという素朴な仮定は誤り。ある民族の分布領域が風俗習慣の差によって複数の考古学上の文化領域に分かれることもありうるし、逆にいくつもの民族や国家の境界を越えた文化領域もありうる。」
確かになんでもかんでも、倭の文物が他国で出土するからと言って、倭の支配と判断するのは短絡的である。佐原氏は次のように締めくくる。「文化の変貌や伝播を征服で理解するのは旧式の発想」とおっしゃるが、これは極論と思われ承諾はできない。エガ―スは、「素朴な仮定は誤り」としているが、他民族や異なる文化を持つ集団との交流や移住を否定しているわけではないととれる。
現代の歴史学者は、「征服」、「移住」と言った言葉にナーバスなようで、それが騎馬民族征服説への強い反発につながったとも思える。列島に見られる馬具を文化の「受容」で解釈することにもなる。だが、古代DNA研究の進歩が、避けられない問題を提起している。
デイヴィット・ライクの『交雑する人類』では、はるか古代より人類は絶え間のない移動を繰り返し、遺伝的に混じりあってきたという。今に生きる人々の姿は、それまでに繰り返されてきた交雑の結果であって、人類は本質的に交雑体(ハイブリッド)であることが明らかになりつつあるという。よって、ナチが利用しようとしたコッシナの考え方が間違っているわけではなく、古田氏の言葉も、間違っていない場合もあり、征服や移住もあれば、交易に伴う交流などによる異種文化の混合ともとらえなければならないと思う。
ここは舌足らずな説明になるので、またあらためてふれていきたいが、とにかく大事なのは、多様性、多元的に見ていかなくてはならないということであろう。
参考文献
佐原真『騎馬民族は来なかった』日本放送出版協会1993
デイヴィット・ライク『交雑する人類』NHK出版2018

