産屋
写真は京都府福知山市三和町大原地区、国道173号線沿いの大原神社に隣接の産屋
大原産屋パネル

1、日本書紀にみえる臼を背負う天皇の意味

 日本書紀には、景行天皇の二年に皇后が双子を生む記事がある。大碓(おほうす)皇子と小碓(をうす)
の兄弟の誕生の逸話だが、小碓が後のヤマトタケルである。そこに、次のような一節がある。
 一日同胞而雙生、天皇異之則誥於碓 (双子が生まれ、天皇はあやしびたたまひて、すなわち碓にたけびたまいき)
 現代語訳では、「一日に同じ胞(えな)に双生児として生まれられた。天皇はこれをいぶかって、臼に向かって叫び声をあげられた」(宇治谷孟)
 生まれた双子の命名譚であるが、天皇の臼がどう関係するのか説明不足の記事である。これについては、いくつかの解釈があるが、民俗学の中山太郎氏の栃木県における妊婦の夫が臼を背負って家の周りを回る習俗など、出産と臼に関連があると論じ、これを受けて人類学者の金関丈夫氏は、天皇が二人が生まれるまで重い臼を背負っていなければならなかったので、天皇が思わずコン畜生と叫んだと解釈されている。
 そう遠くない時代にも残っていた風習が、日本書紀にも記されているというのが興味深い。これは、妊婦の出産時の苦しみを少しでも緩和させようと、出産に立ち会う人が疑似体験をすることだったのであろう。それは、特に古代では切実な安産への願いからくるものであったのだ。

2.みんなで踏ん張れば安産になるという習俗

 妊娠から出産、育児にわたって人々が行ってきた風習などを集めたものに「日本産育習俗資料集成」というものがある。民俗研究者等による全国調査を昭和10年にまとめたものだという。そこに、臼を担ぐ話は見当たらないが、興味深い事例があるので紹介する。
 「分娩」の項に島根県安来市の山間部にある赤屋村のソウヘバリという習慣。ソウは総、ヘバリは力(リキ)む、とかいきむこと。この地方の方言であろうか。戸数12戸の小部落であるが、妊婦が産気づくと直ちに隣家に知らせ、そこから全戸に知らせると、主婦は残らず駆け集まり、産室の隣家で産婦の陣痛が起こるごとに、全員が、うんうん声をそろえ、産婦の呼吸に合せてヘバルのである。すると必ず安産するという。今日多少衰えたがなお行われているとのこと。ただ、「今日」とは調査時の戦前のことであり、現在は行われてはいないだろう。
 それにしても、主婦が総出で妊婦と同じ苦しみを、いきむという行為の疑似行為で共有するというのは、女性たちが同じ苦しみを知っているからこそであろう。このように、臼を背負って踏ん張ることと似たような安産の為の習俗が行われていたのである。同じような行動ではなくても、このような地域の絆、共助の精神が広く全国にあったのではなかろうか。
 
 上記の資料には、産室に力綱という縄を吊るしてあったり、刃物が置かれたり、しめ縄張ったりする事例もあるが、写真の産小屋にも、入り口に鎌が、室内には力綱が吊るされている。
産屋中

 安産の願いに関しては、底なしひしゃくが各地にあったというが、これは現在にも多くの神社で見かけるもので、今も途絶えずに継承されているということだろう。
 他にも、妊娠から子育てまでの様々な習慣、神仏祈願の民俗などが豊富に語られ、なかには堕胎や間引きといったおぞましい内容もあるが、昔の人々の苦労、願いを知る貴重な資料である。
 この『産育習俗資料集成』は国会図書館HPで閲覧できるので、ご興味のある方は是非ご覧ください。

参考文献
恩賜財団母子愛育会編「日本産育習俗資料集成」 第一法規出版株式会社発行 日本図書センター