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 古代において、常識では考えにくい年齢が語られるケースでは、現在の半年の期間を一年でカウントしていた場合があって、天皇の長寿も本当はその半分が実年齢であると考えるのが、二倍年暦である。ただ説明しにくい二倍を超える年数をなんでも倍数で説明するのは、無理があると考える。
 古田武彦氏は浦島子伝承は6倍年暦で説明できるとされている(古田2015)。常世に300年すごしたのは実質50年で、20歳の頃に竜宮に渡り、70歳の頃に故郷に戻ると、彼を知る人々はみんな寿命が尽きており、自分も白髪頭だったという解釈である。だがこれは賛同しかねる。この説明だと浦島子は50年も龍宮に滞在していたことになる。それは龍宮という常世での期間と現世の経過時間がイコールという説明であり、表現された時間の「単位」が異なるだけということになる。だがこれではアインシュタイン提唱の特殊相対性理論による、光速に近い速度で移動すると時間の進み方が異なるという現象の例えとして、「ウラシマ効果」の命名がされたこととは合わない解釈となる。本来の話においては、浦島子が訪れた竜宮と現世とのあいだとは時間の進み方が異なっていたというのが、この物語の重要な要素ではなかろうか。

 日本だけではなく、大陸にも似たような説話、考え方がある。『西遊記』では、故郷に帰った孫悟空は出迎えられて、天に行かれて十数年・・・といわれるが、本人はほんの半月ほどを十数年とは、と驚く場面がある。孫悟空のいた天上界と故郷のサルたちの世界とでは、時間の進み方が異なるという現象をしめしている。
 雲南省哈尼(ハニ)族の天女伝承では、貧しい地上の人々に天の五穀の種を送りたいと願うのだが、天神から、これは収穫するのに三年かかる、なぜなら天の一日は地上の一年にあたるからでとても現世での栽培は無理といわれる。
 四川省羌(チャン)族の洪水神話では、日照りが3年続く状況を打開するために猿が神に聞こうと馬桑樹を登る。そこにいた神々に日照りで困っていることを訴えると、神々は将棋を指していて三日だけ人間界に水をまかなかっただけ、と釈明したという。
 他にも浦島子伝承と似たような話が古代中国に存在する。湖南省洞庭湖ほとりの伝承の竜宮女房「漁夫と仙魚の故事」では、漁夫が船から落ちた少女を救い、後に龍宮に行って龍女と結婚するが、しばらくして故郷の母が恋しくなって帰ることになった。別れ際に龍女は宝の箱を渡し自分に会いたいときは籠に向かって私の名を呼ぶように、しかし蓋は開けるなと言う。帰ってみると村の様子も変わり母もいない、龍女に理由を聞こうとしてうっかり箱を開けると80歳の翁となってその場に倒れて死んだ。この場合も龍宮ではゆっくりと時間が進行することになっていたのだ。
 これらの物語の重要な要素が天上界、異界との時間差である。浦島子も龍宮では短い期間のはずが、現世では長い年月が経っていたという話であり、超高速で宇宙旅行をして戻った飛行士は歳をあまり取らないというウラシマ効果になるわけなの、けっして多倍年暦でその時間差を解釈するものではない。
 二倍年暦の例証(この場合は多倍年暦)にこの浦島子の話はそぐわないと考えたほうがよさそうであろう。

参考 
古田武彦『古代史をひらく 独創の13の扉』(古代史コレクション 23)ミネルヴァ書房2015 ※初出は1992
百田弥栄子「中国神話の深層」 三弥井書店2020