流砂の古代

古代史の誤解や誤読、近畿一元史観ではなく多元的歴史観についてや縄文の話題などを取り上げます。

山口博

記紀の天若日子の返り矢の話のルーツは、ニムロッドの矢のことではなかった

 天孫降臨のための先遣隊として、高御産巣日(タカミムスヒ)は、天若日子(アマワカヒコ)を送り出したが、いっこうに戻って報告する気配がない。そこで様子を知るために鳴き女と言う名の雉(キギシ)を遣わすが、天若日子が矢で射殺してしまう。その矢は、タカミムスヒのところに戻ってきたのだが、もともと天若日子に与えた矢であった。その矢は射返されて、天若日子の胸に命中する。矢を放つ際に、タカミムスヒは、「もし彼が命令に背いてないのなら、矢はあたるな。もし邪心を抱いているのなら、矢にあたって死ね」と呪文を唱えて矢を放っている。アマワカヒコは、自分が放った矢に射返される「返り矢」で絶命するという話である。実はこの話には、元ネタがあるという指摘は早くからなされていた。ニムロッドの矢である。
 金関丈夫『木馬と石牛』法政大学出版局1982(岩波文庫に新編あり)では、「神を目がけて天上に矢を射る。その矢は神の手で地上に投げ返されて、ニムロッドの胸板を貫く。」という記事が『旧約聖書、創世記』にあると紹介されている。さらに、三世紀頃の漢訳仏典『中本起経』に「不信なる長者の子供たちが、篤信者より仏へ遣わされた使者である鸚鵡を射る。その矢は鳥にあたらず、返って仏の前に達する。」という話もあるという。もともとインドにあった話なのであろうか。ところが、「返し矢」のルーツに異論が出されている。

 山口博氏は『ソグド文化回廊の中の日本』(新典社2023)の中山口博で、フランスの東洋学者アンリ・マスペロの論文から始まったが、それは誤りで創世記にニムロッドはいても「狩猟の勇士」というだけで、「返し矢」の話はないのだそうだ。そして新たに、メソポタミアのズー神話を紹介されている。
 もとは神殿の守護を任されていた怪鳥ズーが、覇者になることを目論んだので、メソポタミアの最高神エンリルは息子のニヌルタ神に討伐を命じた。彼はズーに葦の矢を放つが、それは届くことなく戻ってきてしまう。ズーは矢に向かって「飛んできた葦の矢よ、もとの茂みに帰れ、弓の木の部分は、もとの森へ帰れ、弦は(獣の)背へまたもぐりこめ、羽は鳥へ帰れ」と呪文を唱えたのだ。またモンゴル英雄叙事詩ゲセル・ハーンの物語にも天若日子神話と五点もの類似があるという西村真次『国民の日本史大和時代』(1932)指摘を紹介されている。
 霊力を持つ矢が返し矢になり、呪文を唱えることで効果が発せられるという話は、おそらくはメソポタミアのものがルーツであろうが、その後に様々なバリエーションとなって各地に伝播して、記紀にも取り込まれたのであろう。
 これからは、天若日子の返し矢の話はズー神話がルーツとするほうが良いようである。

男神でもあったアマテラスと姫に変身したスサノオ(2)

オロチとスサノオ

【3】スサノオに気づかなかったヤマタノオロチ
 有名なオロチ退治の説話も、実はよく考えれば奇妙な点がある。スサノオはクシナダヒメを櫛に変えて髪にさしてオロチに臨む。やってきたオロチは捧げられた酒を飲みほして酔いつぶれる。そこをスサノオが斬りつける。めでたしめでたしのお話のようであるが、ここに異論を唱える研究者は、江戸時代からあったようだ。(注2)
これは山口博氏の指摘だが、その場にめざす人身御供の娘の姿がなく、かわりに髭面で剣を持つ男が控えていれば、オロチは怒り、酒も飲まずに暴れるのではないか。もっともな指摘であろう。そこで日本書紀の本文の該当箇所を見直したい。まずは原文。
  素戔嗚尊、立化奇稻田姬、爲湯津爪櫛、而插於御髻     
 次に岩波文庫版の書き下し
  スサノオノミコト、立(たちなが)ら奇稻田姬を、湯津爪櫛に化為(とりな)して御髻に挿したまふ。
 そして指摘され、改められた解釈。
  スサノオは立らクシナダヒメに化(な)して、湯津爪櫛を爲(つく)りて御髻に挿したまふ。
 以上のように、化は姫に、為は櫛に対応すると見るほうが自然である。通常の解釈の「化」と「為」をくっつけて「化為」という熟語にするのは無理がある。するとスサノオは自らが姫に姿を変えたのであり、クシナダヒメを櫛に変えるというのが奇妙な解釈であったことになる。さらに岩波や小学館は、原文を掲載しているが、この該当箇所では、返り点が本文の読み下しとは違っているのである。スサノオ原文返り点この原文の返り点に従えば、スサノオは、姫に変身(女装)して、櫛をつくって、みずらに挿した、と読めるのである。
 次に古事記の場合を見ると、その該当箇所の文面は微妙だ。
爾速須佐之男命、乃於湯津爪櫛取成其童女而、刺御美豆良
 すなはちゆつ爪櫛にそのオトメを取り成して、御みづらに刺して とされている。確かにそのように読める。ここに「取成」があるが、日本書紀には登場しない熟語である。古事記ではあと一カ所、タケミカヅチとタケミナカタの対決の所で2回使われる。
   卽取成立氷、亦取成劒刄
 タケミナカタがタケミカヅチの手を取ると、その手が、つららに変化し、また剣に変化したというのである。取るという漢字にまどわされるが、「取成」は変化、変身するという意味である。
 しかし、日本書紀と同じように、姫を櫛に変身させるというのも奇妙な話であり、この古事記の箇所も、「於」を「…を」とすれば、スサノオは、櫛を、オトメに変身して、みずらに挿した、と読めるのではないか。古事記の場合は、誤字脱字など後の誤写の可能性もあるが、日本書紀では、後の誤読による解釈が広まったと言える。すなわち、ヤマタノオロチは、スサノオの変身である人身御供の女子を前にして、何の疑いもなく気分よく出された酒を飲み干すのである。
 山口博氏は、ここで江戸時代の川柳を紹介されている。
  『神代(かみよ)にもだますは酒と女なり』

【4】何度も使われた相手を欺いて目的を達する手法
 この手法は景行紀にヤマトタケルによる熊襲国の川上梟帥(カワカミノタケル)を殺害する説話にも使われている。酒宴の席に女装してもぐり込んだヤマトタケルを、カワカミノタケルは気に入って横に侍らせて酔いつぶれてしまう。そこをヤマトタケルは隠し持った剣で相手の胸を刺すのである。
 また、女性なのか女装なのかが微妙な事例もある。神武紀の道臣命(ミチノオミノミコト)は、残党を討ち取るために、酒宴を設けて敵を招き入れる。宴もたけなわになると、道臣本人が立って舞うことを合図として一斉に襲撃する。この道臣は神武の頼もしい片腕として行動する武人として描かれている。だが酒に酔った相手に、男が舞っても盛り上がらないであろう。道臣も女性だったのだろうか。この一節の前に、神武が道臣を厳媛(イツヒメ)と名付けているのである。岩波注では、神を斎祀する者を斎主といい、これは女性の役であったから、イツヒメの名が与えられた、というやや苦しい解説になっている。女装して神事を行うというのであろうか。すると道臣は女装していた、もしくは女性として酔った男どもの気を引くような舞を行ったと考えられる。
 さてこういっただましの手法は、似た例が大陸に見受けられる。ヘロドトスの『歴史』によれば、西アジアのメディア王キャサクレス(BC625~585)とスキタイとの抗争で、キャサクレスはスキタイを宴会に招いて酒に酔わせ、彼らの大部分を殺害したという。遊牧騎馬民はこういった相手を欺く戦法をよく使ったようだ。形勢が不利になると逃げるふりをして、追いかけてきた相手に逆襲することがある。逃げながら馬上から振り返りざまに矢を打つことをパルティアンシュートという。彼らにとっては卑怯とかではなく重要な戦法だったのだ。
 こういった文化や説話を持つ集団が倭国にも入り、語り継がれた話を知る記紀の編者がいて、いくつもの説話に応用されたのではないだろうか。

(注2)江戸時代伊勢外宮権禰宜の渡会延佳、江戸国学者白井宗因、高崎正秀(続草薙剣考)
 ※古田史学会報№177掲載のものを一部改定したものです。
参考文献 
山口博「創られたスサノオ神話」中公叢書 2012
林俊雄「スキタイと匈奴、遊牧の文明」講談社学術文庫 2017
千葉慶「近代天皇制国家におけるアマテラス」ジェンダー史学 第2号(2006)
津田左右吉「古代史の研究」毎日ワンズ 2022

騎馬遊牧民のスサノオ  山口博氏の『創られたスサノオ神話』より

 スサノオは謎の多い神と言われている。出雲国風土記では地元の農耕民の守り神として語られているが、かたや記紀ではオロチ退治で英雄視される一方で、アマテラスが岩戸に引きこもる原因となった乱暴狼藉を働く悪神でもあった。二重人格とも取れる、なんともつかみどころのない神として様々な解釈が行われてきた。だが山口博氏の『創られたスサノオ神話』によれば、乱暴な行為は農耕民族の立場からはそのように見えるのだが、騎馬遊牧民にとっては当たり前の行為であって、異なる文化の性格が付加された神であるとする。
 氏の論拠の主なものを以下に挙げていく。
①田の破壊行為(畦道破壊・渠埋め・種の重ね蒔き・縄をめぐらす・馬を放つ)これらは馬の放牧の為に牧草地を確保する行為であるという。土地を乾燥化させてなだらかにして、種をまいて草原にするのである。書紀には斑毛の馬を放す、とあるのはまさに放牧の始まりを意味する。
②スサノオがまき散らす糞。遊牧民は防寒対策として、床や壁に獣糞を塗り込んだり敷き詰める。また獣糞は乾燥させて燃料にする。のろしは狼の糞を燃やして煙を出すから狼煙なのだ。中国『金史』列伝にも「天寒擁糞火讀書不怠」とあり、学問好きの劉煥が寒い日には「糞火」を抱え込んで読書をしていた。なお、『古語拾遺』には「屎戸」としてその割注に「新嘗の日に当りて、屎を以て戸に塗る」とあるのも傍証になる。
③馬の皮を剥いで天上の穴から投げ込む。これは生贄の皮を奉納する行為であり、遊牧民の住み家である天幕に天窓がついている。斑の馬なのは斑文様の動物が聖獣とされたからで、例えばペルシャの『アヴェスター』には、斑文様の犬を聖犬とし、中国でも眉間に黒斑のある白虎を騶虞(すうぐ)として想像上の動物である麒麟とともに聖獣とした。記紀での行為は、アマテラスという太陽神に生贄を奉納することとなる。
④スサノオの髭が長くなっても泣き止まず青山を枯らし、川海は干上がる。髭が長いのはコーカソイドの特徴。
 枯れた山、干上がった河はユーラシア大陸の砂漠地帯の特徴を表している。
⑤泣き続けるのは、北方文化の信仰上の習俗、神招の呪術。天若日子の葬儀に哭き女役の雉がいる。
⑥スサノオを待ち構える武装したアマテラスの描写は、多数の矢の入った靫を背負うなど騎馬民族の武装の表現。また古事記の「堅い地面を股まで没するほど踏み込み」とは、力士の表現といえる。
 他にもあるが省略させていただく。次にここに私見を加えさえていただく。

 二重人格などともいわれるスサノオの矛盾した性格は、山口氏の北方文化の視点でみると、その謎は見事に解決できる。アマテラスが糞がされた宮の席に座ってしまい、体が臭くなってしまった、などという実に変な記事があるのも、納得できるのである。動物の糞の有効利用という日本の中では考えにくい大陸の文化なのだ。古代の遺物、日本書紀や古事記などには、大陸からの移住民たちの痕跡をいくつも見いだせると考えている。もちろん、スサノオそのものは神話とされるものだが、その記述には、実在の大陸文化をもって渡来した指導者、集団が神として描かれているのであって、その内容はリアルな古代の史実の反映と考えられる。さらには神話以降の歴史上の人物に関しても、その影響は多数存在するのではないだろうか。今後も山口氏の文献などを使わせてもらいながら、この問題について探っていきたい。

騎馬遊牧民に関して

騎馬遊牧民に関して
以下は、各文献からの抜粋、メモです。

「遊牧国家 普段は部族・氏族・家族など、大小の集団で遊牧生活を送り、戦時には特定の指導者に率いられて成人男子のほとんどが、騎馬戦士となる遊牧民主体の国家。
匈奴・鮮卑・氐テイ・羌キョウ・羯ケツ)が魏・呉・蜀三国の闘争で疲弊し人口も激減した中国本土に入り込んでいった。その上に三国を統一した西晋が、八王の乱(290~306)という内乱で五胡の武力を利用した結果、五胡の民族移動はさらに活発になった。そしてついに西晋は、永嘉の乱(311~316)で匈奴に滅ぼされた。これ以後、五胡は五胡十六国時代の主役となり、最終的には五胡の一つである鮮卑鏃の拓跋氏が4世紀末に北魏を建国し、439年に北中国を統一。漢人は南へ移動し東晋を建国。大移動以降、中国史の重大画期には、常に騎馬遊牧民勢力が影響力を行使する。

「ステップ地帯の南北で、遊牧をしながら狩猟あるいは農業を営む半猟半牧、半農半牧の人々も広い意味では騎馬遊牧民と呼ばれている。
 西アジアでは、スキタイ、フン、中央アジアから東アジアにかけては烏孫(ウソン)、高車、突厥(トッケツ)、匈奴、鮮卑、柔然、回鶻(カイコツ)、黠戛斯(カツカツシ)、契丹(キッタン)、女真、モンゴルなどが属する。
 東アジアの騎馬遊牧民は、時に漢民族を圧倒する軍事力を持ち、中国の北半もしくは全土を版図に収める国家建設した。北魏、遼、金、元、清など。また隋、唐の王室も騎馬民の血を濃厚に引いている。さらには、中国東北部に拠ったツングース系の扶余、高句麗、靺鞨、渤海なども。

『日本人を科学する 連載23』江上波夫 (サンデー毎日)
羊・山羊・牛・馬・ラクダの五畜は、『生きた魔法の缶詰』と呼び 人間の食用に堪えられない貧相な草から乳や肉を作り出す『化学変化機』と表現。」  ←卓見だ。(上記、森安孝夫)

 「騎馬民族というと何だか凶暴なイメージを持たれがちですが、そんなことはない。極めて政治的な民族であり、世界人だったのです。というのは、彼らは相手を武力で圧倒するのではなく、支配層に入り込むことで、統治していく。戦争ばかりしていたら世界帝国なんかつくれるわけがない。このことがいまだに理解されていない。日本においてもそうだったと考えるのですが、すっと支配層に入り込み、政治的に他民族を統括していったと思うのです。


↑↑ 島国で暮らす日本人には、騎馬民、北方遊牧民の姿はなかなか理解しにくい。大陸という地続きの中に、様々な諸民族が共存し、ある時には排斥し合い、力の弱いものは逃亡を繰り返す。そのような世界の動向に、実は古代の列島も大きな影響を受けており、無関係ではなかった。そういった古代の問題の痕跡を少しでも明らかにしていければと思っている。