図は 各地(半島東南部・北部九州~東海西部)の併行関係と暦年代案
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これまでの説明の要点などをまとめとしてあげておきたい。まだまだ不十分な点もみられるが、引き続き検討していきたい。
①初期の三角縁神獣鏡は弥生末期から九州の発生期の墳丘墓や古墳から出土している。
もし三角縁鏡が国産であったと仮定しても、近畿大和から全国に配布されたという主張は看過できないのではないか。
②全国の分布状況は、ヤマト中心ではなく、九州勢力が配布していると見ることができる。
・布留0式(250年頃)の段階に三角縁鏡はないとするのは間違い。久住猛雄氏らの指摘。
藤崎32次1号墓 石棺の周溝部の調査で、周溝下層から布留0式古段階に併行するⅡA期の一括土器が出土。(図を参照)
この布留0式古段階に三角縁神獣鏡はないという説が一部にあるが、実際は存在することを証する布留0式古相での副葬例が「少ない」のは、まだ舶載され、「配布」された直後だったからと考えられる。
この布留0式古段階に三角縁神獣鏡はないという説が一部にあるが、実際は存在することを証する布留0式古相での副葬例が「少ない」のは、まだ舶載され、「配布」された直後だったからと考えられる。
・纏向型前方後円墳は九州に早くから築造され、そこに三角縁鏡が出土していると想定。一方で近畿大和地域の纏向型前方後円墳からの出土事例は皆無。これこそが、三角縁鏡が九州からの配布を示している。ただし、津古生掛古墳以外の九州の古墳の編年観の検討も必要である。
③創作模倣鏡(3~4世紀)の時代に生まれた三角縁神獣鏡
漢代400年の間に創出された鏡を3世紀以降は模倣を特徴とする鏡づくりが行われ、この動きの中で三角縁神獣鏡が登場した。過去の中国鏡を模刻するために、左右の逆転や神獣の配置の乱れなどが三角縁鏡以外にも発生。
④「陳是作竟」は、190年頃の洛陽市吉利区出土の画文帯同行式神獣鏡をモデルに和泉黄金塚古墳「景初三年陳是作」画文帯神獣鏡を作成。図像の逆向き、画文帯の反時計回りが発生。一方で三角縁神獣鏡に継承される特徴の、新たに内区の外周線を隆起する鋸歯文に、径を大きくし突起する乳が加わる。
次に島根県神原神社「景初三年陳是作」三角縁神獣鏡を製作。外区文様、三角縁に改変。図像は同じだが、左右逆転が見られる。つまり神原鏡は黄金塚鏡をベースに外区に三角鋸歯文を取り込んで三角縁鏡とした。よって、黄金塚と神原の景初三年鏡は図像が異なるだけの兄弟鏡といえる。
陳氏は引き続き、景初四年鏡、正始元年鏡を製作。景初四年の銘文では、「陳」が反転している。自分の名前で漢字を知っているから、うっかり正字で刻印してしまったとも考えられる。
⑤景初四年鏡の存在が、国産説を否定する。景初三年の末に前もって四年と刻印した可能性もある。
・国産説の王仲殊氏も北朝鮮地域の墓碑などに改元を知らずに前の年号を刻んでいた例を指摘。
・森浩一氏などの鏡の銘文の紀年は、後の時代(4世紀)に、記念すべき年号として鏡制作時に加えられた、と解釈されているが、後の時代に年号を入れるのならば、景初4年が存在しないことは知っているはず。さらに景初四年は渡来した工人が改元を知らずに刻んだ、という主張は、ではなぜ正始元年が存在しているのか説明不可ではなかろうか。
⑥官営工房の尚方銘の三角縁鏡が少なくとも10枚存在している。奈良県佐味田宝塚古墳神人車馬鏡(三角縁)21.1㎝の銘文と書体も同じものが、 河南省岳家村30号墓尚方作神獣車馬画像鏡である。他に新山古墳、熊本県葦北城ノ越など。
⑦神岡鉱山の鉛使用による国産説が言われるが、原料の産地と製作地はイコールという確定は出来ない。神岡鉱山で弥生時代後半に鉛を採掘していた根拠はない。周辺に弥生時代の遺跡もない。中国から鉛丹も下賜されているが、法隆寺の壁画での使用まで確認されず、採掘していたなら鉛丹も製造していたのではないか。
⑧国産では説明つかない車馬鏡や時代の合わない仏獣鏡が存在している。
群馬県北山茶臼山古墳(4C前半)の神人龍虎車馬画像鏡。馬に引かれた馬車が、精密に描かれ、鞭を振る御者、後ろに主人が乗る姿も鮮明。この頃、列島に馬車は存在しない。馬の利用も始まったばかり。
⑨三角縁神獣鏡は葬送儀礼の祭器でランクが低い、という見方について。
黒塚古墳の例の場合で言われているが、棺外に並べられた葬儀用のレベルの低い鏡という説も成り立たない。
大和天神山古墳では、被葬者を囲むように20面、棺外に3面の鏡があった。内訳は、方格規矩鏡6面、内行花文鏡4面、画文帯神獣鏡4面、獣形鏡4面、画像鏡2面、三角縁変形神獣鏡2面、人物鳥獣文鏡1面である。三角縁鏡だけ低く見ることは出来ない。
⑩その他
・百枚以上あるのも何らおかしくはない。3世紀末まで何度も遣使しており、中国からも使者が来ている。正始元年に下賜品として刀などと共に鏡の記述もある。
・三角縁鏡だけでなく、画文帯神獣鏡、斜縁鏡、方格規矩鏡なども邪馬台国は公孫淵や魏晋から入手した可能
参考文献
岡村秀典2017『鏡が語る古代史』岩波新書
図の出典は『銅鏡から読み解く2~4世紀の東アジア』實盛良彦編勉誠出版2019








佐原氏の著作には、「ガリア戦記」のシーザーのローマ軍の例で逆茂木の図との説明があるが、おそらくこういったものから愛知朝日遺跡の場合も、環濠から出土した杭などを、防戦のための逆茂木・乱杭だと決めつけたのではないか。吉野ケ里でも、防御的役割で遺跡の説明がされ、環濠に沿って外堤が盛られ、柵が隙間なく張り巡らされ、さらにはありもしない先のとがった杭を無数に並べるという虚構の復元が行われたのである。