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毎年正月に町民の協力で海岸沿いに仮屋を作る新年の伝統行事で、以前は近くの沿岸に同様のものがいくつもあったそうだが、現在はこの一カ所だけのようだ。
このグロはモンゴルなどに見られる遊牧民の天幕(ゲル・パオ)と関係しているのではないかと考えている。
同じ海岸沿いに韓神新羅神社があり、来訪神スサノオとの関係が窺える。書紀ではスサノオの子は五十猛(イタケル)で、いっしょに新羅から出雲国にやってきている。なお五十猛神はイタケルの神と読まれているが、五十猛町がイソタケであり、イソタケノの神であったかもしれない。その妹に大屋津姫、抓津姫がいる。近隣に大屋という地名があり、ツマも浜田市に津磨町、隠岐島に都万がある。神と考えられた実際の移住民の話が語り伝えられたのであろう。
現地の人が「ぐろ」と呼んでいるのは、どうしてであろうか。グロという名の由来は不明だが、新唐書に突厥の巫女が祈ったところが穹廬(きゅうろ)で関係すると考えられる。これを「くろ」と発音され、それが濁って「ぐろ」と言うようになったのかもしれない。中国の漢籍(中国の漢文で書かれた書物)にはこの穹廬は遊牧民のテントの意味で多数出現する。日本海の海岸沿いに到来した大陸からの移住民が、こういったテントを張って、居住をはじめたのではないか。痕跡の残りにくいものなので検出しにくいテントだが、古代に多くあったのではないかと想像している。