2. 三十年も泣いてばかりいる誉津別命
  日本書紀の垂仁天皇二十三年秋九月の記事。天皇暗殺をもくろんだ狭穂彦(サホヒコ)の妹で垂仁天皇の皇后である狭穂媛が生んだ皇子の誉津別命は、三〇歳にもなっているのに髯も長いのに泣いてばかりいてしゃべれない。困った天皇が配下の者に解決策を問うのだが、ある日皇子は白鳥を見て言葉を発したことから、その白鳥を捕らえ遊び相手にするとしゃべれるようになったというお話。しかし、いくらなんでも天皇は息子が30歳になるまでじっと待っていたのであろうか?だいたいその歳で泣いてばかりでしゃべれないというなら、あきらめて彼に世話をするものを付けて、適当なところに幽閉してしまうのではないか。しかしこの疑問も次のように考えられる。三〇歳は年齢が立ちすぎており、これを二倍年暦だとすると十五歳となる。この歳なら髭も生えてくる。またこの記事は垂仁紀二十三年の記事であるのだが、そうすると子供が三〇歳だということになると垂仁天皇が皇位につく7年も前に生まれたことになるが、実際は皇位についてからの誕生となるので辻褄は合う。古代では成人儀礼は15歳前後であろうと考えられるので、息子の成人儀礼を控えてなんとかしたいと天皇は苦慮したということであろう。

 不自然な年齢、年数も二倍年暦で理解できるが、なかには、微妙なケースもある。(つづく)