3.英雄叙事詩『ベーオウルフ』と古事記の国譲り譚
多ケ谷氏によると、『古事記』国譲り譚では、①外来の英雄神(タケミカヅチ)が②土地の神(タケミナカタ)と③素手の闘い(力競べ)をして、④土地の神の手に損傷を与え(一説では手を抜き取り)、⑤そのため土地の神は湖へ逃げるが、⑥英雄神は湖へ追いつめ、⑦国譲りを承諾させ支配権を得る。
一方『ベーオウルフ』では、①外来の英雄(ベーオウルフ)が、②在地の妖怪(グレンデル)と③素手で闘い、④妖怪の腕をもぎ取り、⑤妖怪は自らの巣である湖(沼)へ逃げる。⑥英雄は湖へ遠征し、⑦妖怪の眷属を退治し、城の支配権を奪還する。このように、両者は大まかな筋で一致するという。
ただここには、「渡辺綱伝説」にある、鬼による「片腕の取り戻し」のモチーフはない。しかしこれも、諏訪湖(の地)の領有(権)を得ることを、失われた手(腕)の代償と考えれば、『ベーオウルフ』にある腕の「取り戻し」に対応するモチーフがある、とされる。そして、先の疑問点に関するところでは、タケミカヅチが素手で戦うことになったというところも、同じようにベーオウルフも剣を使わずに戦っているのである。
4.素手で戦うことを宣言するベーオウルフ
ベーオウルフは素手で戦うことを繰り返し言及している。
「また、聞き及びまするには、かの妖怪は、向こう見ずにも武器を用いるのを好まぬとのこと。・・・敵と真向から組み合い、不倶戴天の仇同士、命を賭して戦わねばなりませぬ。」
「それがしは、武勇にかけてはグレンデルよりいささかなりとも劣るとはおもわぬ。それ故、それがしにはいとたやすきわざとはいえ、彼奴を剣もて斃し、命を奪うつもりはない。・・・もしも彼奴が敢て武器を用いずして闘いを求めるならば、われらは互いに夜中剣を用いるのを控えて相見まみえねばならず」
このように自分は剣を使えば勝つことはわかっているが、妖怪が武器の使用を用いずに闘いを求めてきたら、自分も剣を使わずに闘うと宣言しているのだ。タケミナカタは「何をひそひそ話をしている、俺と力比べをしよう、あなたの手をつかんでみよう」と威勢よく素手で勝負すると言ってきたのだ。だからタケミカヅチは、腕を剣に変えたものの、相手を怯ませはしたが、その腕を元に戻し、両手でつかんで相手の腕を引きちぎってしまうのだ。
もう一つ理解しにくいところがある。古事記では、腕が剣に変わる前に立氷(たちひ)に変えている。赤く焼けた鉄を鍛治で剣に仕上げていくのに、どうして氷柱になるのだろうか。ここも『ベーオウルフ』に似た表現が見られる。「かの剣、いくさの太刀たちは、闘いに流れた血の故に、垂氷(タルヒ)さながらに融け細っていった。」
つまり異界の怪物に剣は通用せず、氷のように解けてしまうというのである。古事記はこれとは逆の進行で、腕が氷柱のようになった後に、剣として完成するのだ。この氷柱のアイデアも共通しているのである。
タケミナカタの説話は、古事記の大国主の系譜にも見えないことから、後から差し込まれた話と考えられている。そして上記のように他の説話を継ぎはぎしたので、やや説明不足の挿話となってしまったのであろう。
この類似の物語について、多ケ谷氏によると松村武雄氏は、ペルシャ神話との関係を指摘されているという。戦士は全力でルステムの手を掴んだがルステムは平気だった。「今度はルステムが對者の手を握り締めると、脈管が破れ骨が碎けて、地に倒れて氣を失った」と言う記述がある。ベーオウルフの英雄譚そのものも、他の説話も参考にまとめられていった可能性がある。すなわち大陸各地の説話の要素が収集されたものが、英雄譚に取り込まれ、さらには東方にも運ばれて、古事記の編集や中世の説話に活用された、と考えられるのである。
注. 建御名方は、日本書紀に記されていないが、完全に消されたわけではなく、書紀の持統5年8月には、使者を遣わして竜田風神、信濃の須波(諏訪)、水内(ミヌチ)などの神を祭らせた、とある。延喜式神名式の信濃国諏訪郡に「南方刀美神社二座」とあるので、建御名方は南方刀美神とも称され、この諏訪が建御名方で水内はその子であるという。よって、建御名方は水の神として信仰されていたことを物語っている(建御雷に両腕をもぎ取られてしまう話は、腕のない蛇を暗示し、蛇神=水神と考えられることと結びつけたのであろう。正木裕氏のご教示によるが、南方のミナカタは元々は北九州の宗像のことであるという。
参考文献
大林太良・吉田敦彦「剣の神・剣の英雄」法政大学出版局 1981
多ケ谷有子「『古事記』『風土記』における『ベーオウルフ』の類話」関東学院大学文学部 紀要第123号(2011)
多ケ谷有子「王と英雄の剣:アーサー王・ベーオウルフ・ヤマトタケル」北星堂書店2008
忍足欣四郎訳「ベーオウルフ 中世イギリス英雄叙事詩」岩波文庫1990
松村武雄「日本神話の研究. 第3巻 (個別的研究篇 下)」国会図書館デジタルコレクション1955