流砂の古代

古代史の誤解や誤読、近畿一元史観ではなく多元的歴史観についてや縄文の話題などを取り上げます。

アメノウズメ

男神でもあったアマテラスと姫に変身したスサノオ(1)

鯰絵アマテラス
              
 記紀の説話にはその解釈に誤解があって、本来の話の真意が伝わりにくくなっているものがあることを、いくつかの事例で説明する。既に多くの研究者によって指摘されていることを利用させていただき、そこにわずかな私見を交えて論じるものであることをお断りしておく。

【1】アマテラスは女性神なのか?
 日本書紀に記された乙巳の変の説話の多くはつくられたものであり、その狙いの一つに藤原氏の祖とされる鎌足を卓越した行動力と才知あふれる人物として礼賛することがあった。たとえば、用心深い蘇我入鹿の刀を預かるために、鎌足の智恵で俳優(わざひと)を近づける。すると入鹿は疑うことなく咲って相手に刀を渡してしまう。俳優がどのように働きかけたのか書紀は全く記していない。岩波の解説では、俳優は芸人などという説明があるだけで、これでは護身用の刀をあっさりと渡す理由にはならない。
 日本書紀にはこの俳優という表現が、海幸山幸の説話と岩戸神話のアメノウズメの仕草に使われている。乙巳の変の俳優は後者のアメノウズメを人物像として想定したのであろう。岩戸にこもるアマテラスに対して、ウズメは妖艶に舞い八百万の神も盛り上がる。そして、外の様子を見ようとしたアマテラスを岩戸から引き出すことが出来た。乙巳の変の場合も、俳優とはアメノウズメのような妖艶な女性であり、意味深に入鹿に近づいて何かを語る。用心深い入鹿も「咲って」刀を渡してしまう。ただこれは史実ではなくあくまで書紀編者がそのように想定したことであって、俳優の役割がこれで理解できるのである。だが、この話はその説得力という点でやや弱い部分がある。それはアメノウズメの相手が女神であることだ。だがこれが男神であれば、たいへんわかりやすい話となるのではないか。

【2】あとから女神にされたアマテラス
 京都の祇園祭の岩戸山の山車にはアマテラスの人形が飾られている。祇園祭のハウツー本にはこの人形が、髭を生やした男性神と当たり前のように説明されている。京都界隈では、アマテラスが男性であったのは常識だったのであろうか。茨城県北相馬郡の布川神社の絵馬にも、髭の描かれたアマテラス像が岩戸の隙間に描かれている。さらには江戸時代の鯰絵にも髭を生やした天照大神が描かれて庶民に出回っている。
 研究者の中にも認識があり、両性具有の神などともっともらしい表現も見られる。既に指摘されていることだが、古事記にはアマテラスが女神であるとは、それをうかがわせる表現はあっても明確なものはない。(注1)日本書紀も客観的な文面には女性神とは書かれておらず、スサノオとのうけいの場面で、彼が「姉」と何度も述べ、彼の悪行の中で「姉田」という表記はある。またアマテラス本人は武装する際に「婦女」と述べる箇所が一度だけ見られる。
 津田左右吉氏は、ウケイの場面では、男を生まば心正し、女を生まば邪(よこしま)なりとあるのは、日の神が女神であれば不適切な詞とされるのはもっともなことであろう。また、同じ方法で子を生むというのも、両者が男神であったからで、女神なら別の方法となるという指摘ももっともだ。
 世界の事例からも元々の太陽神は女性神だけではなく、男性神の場合もあったのであり、このアマテラスも男性と認識されていたこともあったのではないか。古事記では女性と明記しなかったが、日本書紀はアマテラスを女性神にする手直しを施しており、これを、当時の中国の武則天や日本の女性天皇の存在を反映させたとの意見もある。何らかの事情、前王朝の太陽神を否定するような意図も考えられる。日本書紀では女性神とされたが、男性神であるという様々な伝承から、江戸時代には男性神としての認識もみられたのが、これが明治に入ると女性神であることに徹底されたのであろう。
 よって、アメノウズメの意味深な仕草の舞は、男性神に対するものとして想定されたものと考えたい。(2へ)
注1)古事記では、イザナギはイザナミを那邇妹とし、イザナミはイザナギを那勢と呼んでいる。那勢は女性から男性を親しんで呼ぶ語とされており、アマテラスもスサノオを那勢と言っている。

入鹿はなぜ刀を俳優(わざひと)に預けてしまったのか?つくられた乙巳の変(3)

【1】入鹿はどうして刀を俳優(わざひと)に預けてしまったのか?
 次は入鹿が自分の剣を預けて座につく場面の一節。
「中臣鎌子連、知蘇我入鹿臣、爲人多疑、晝夜持劒。而教俳優、方便令解、入鹿臣、咲而解劒、入侍于座」
 用心深い入鹿は常に帯刀しているので、鎌足の策略で俳優を使って入鹿に近づく。すると入鹿は見事に「咲って」相手に自分の剣を渡す。
 入鹿殺害の顛末が、秦王殺害未遂の件と大きく違うところがある。それは、俳優を登場させて、入鹿が自分の刀を預けさせていることである。相手の反撃にあってはならず、殺害計画を成功させるためには、入鹿の帯刀を解かなければならない。しかしどうやって用心深い相手に不信を持たれずに刀を受け取れるのか。そのために鎌子は方便(巧みな手立て)を考えついて俳優を仕向けたのだ。

【2】妖艶なアメノウズメに油断した入鹿  
 ではその俳優とはどのような人物で、いかにして疑い深い入鹿の刀を解くことができたのか。この俳優は一般的には道化師などと理解されている。だがそれでは入鹿は信用しないのではないか。ここには具体的な行為やどのような言葉をかけたのかは全く描かれていない。だがそれを解くヒントはある。日本書紀にはこの俳優が二か所の異なる場面で登場する。一つは、海幸山幸の兄弟の説話だ。最初に横柄な態度であった兄が、最後には弟に屈服して俳優(ワザヒト)になってしまう。だがそんな人物では役不足であり、相手の刀を手にすることはできないであろう。もう一人の俳優が天岩戸神話に登場するアメノウズメだ。
アメノウズメ
 天鈿女命、則手持茅纒(ちまき)之矟(ほこ) 立於天石窟戸之前、巧作俳優(たくみにわざをきす)
 彼女は天岩戸の前で巧みに振舞って、アマテラスを岩戸から引き出すことに成功する。その実績のあるアメノウズメは天孫降臨の道を阻むかのように立つサルタヒコに対しても、天岩戸の時と同様の仕草を行い、彼の名を明かさせる。得体のしれぬ相手に堂々と立ち向かうアメノウズメこそ、入鹿を欺く役回りとしてふさわしいであろう。岩戸が開くようにアメノウズメはたくみに神事の仕草や踊りを行う。それを見て八百万の神がどっと咲ったという。入鹿も相手に刀を渡すときに咲っている。だがここでの咲いは可笑しくて笑っているのではない。この俳優は女性なのだ。しかもアメノウズメのような妖艶な女性であろう。おそらくこの俳優は、なまめかしい姿で胸元をやや広げて入鹿に近寄るのだ。そして彼女は「刀は後で私が直接お渡しいたします」などとささやいたのではないか。この時、入鹿が鼻の下を伸ばしたかどうかはわからないが、笑ったというより、ニヤついたのであろう。油断をして大事な刀を彼女に渡してしまったのだ。こうしてまんまと入鹿を丸腰にすることが出来たのだ。ただこれは史実ではなく、あくまで日本書紀の編者が想定した筋書きを想像したものだが。
 計画遂行のために秦王の反撃にあうという同じ轍を踏まないように、乙巳の変ではアメノウズメのような俳優を登場させて、入鹿を丸腰にさせたのだ。その奸計をすすめたのが鎌足であり、中臣氏の遠神(とほつおや)である天児屋(あまのこやね)命が重要な役割を果たす天岩戸や天孫降臨神話を参考にしているのは示唆的である。
 それにしてもこの乙巳の変の物語では、鎌足は事を成就させた立役者として描かれている。しかも弓は構えたが自分の手は汚していない。これは後の藤原氏の祖である鎌足が、蘇我氏の横暴であやうくなった皇統を、知恵と努力で守った存在として美化するために、この暗殺事件を利用したと考えたい。