冠は継体王権の威信財として畿内を中心に分布。 5世紀末~6世紀中頃」とのことだ。気になる所があるので、少し説明したい。
1.葬送儀礼で使われる冠
1.葬送儀礼で使われる冠
まず、広帯二山式冠とされる図が、これでは「二山」としている意味がわかりにくい。この図は滋賀県の鴨稲荷山古墳の冠のスケッチだが、帯を広げてみないと「二山」とは思えないであろう。次の図は左が江田船山古墳、右が茨城県三昧塚古墳のものだが、このように帯を広げると、「二山」であることがわかる。
藤ノ木古墳金銅製冠 樹木に鳥が停まるゴンドラの船が描かれている
また「継体王権の威信財」とされているが、はたしてそうと言い切れるであろうか。既にこちらでも説明しているが、鴨稲荷山古墳の冠の場合は、中央についているのは船形埴輪と同じ形状のデザインだ。有名な藤ノ木古墳の冠には、樹木とともに鳥が停まっている船がいくつも描かれている。また茨城県の三昧塚古墳の金銅製冠は馬の意匠が左右対称に4頭ずつ描かれている。これらの馬や鳥、船は、死者を送るためのものと考えられる。日本出土のものは、それぞれ意匠が独特であり、統一的な規格で作られたわけではないので、位階を示すものとは考えにくく、埋葬時に被葬者に供える葬送儀礼用のものであろう。同様に飾り履という歩揺やスパイクが付いたものも、決して実用の履とは言えないと考えられる。
また「継体王権の威信財」とされているが、はたしてそうと言い切れるであろうか。既にこちらでも説明しているが、鴨稲荷山古墳の冠の場合は、中央についているのは船形埴輪と同じ形状のデザインだ。有名な藤ノ木古墳の冠には、樹木とともに鳥が停まっている船がいくつも描かれている。また茨城県の三昧塚古墳の金銅製冠は馬の意匠が左右対称に4頭ずつ描かれている。これらの馬や鳥、船は、死者を送るためのものと考えられる。日本出土のものは、それぞれ意匠が独特であり、統一的な規格で作られたわけではないので、位階を示すものとは考えにくく、埋葬時に被葬者に供える葬送儀礼用のものであろう。同様に飾り履という歩揺やスパイクが付いたものも、決して実用の履とは言えないと考えられる。
2.栄山江にもあった広帯二山式冠は、日本のオリジナルとは言い難い
さらに次が重要な問題だ。「畿内を中心に分布」とあるが、だからといって日本独自のものとはならない。実は一例だが、朝鮮半島からも出土している。それが半島の前方後円墳である新徳1号墳である。飾り履や金製耳飾りなど豪華なアクセサリーが副葬されていたのだ。
さらに次が重要な問題だ。「畿内を中心に分布」とあるが、だからといって日本独自のものとはならない。実は一例だが、朝鮮半島からも出土している。それが半島の前方後円墳である新徳1号墳である。飾り履や金製耳飾りなど豪華なアクセサリーが副葬されていたのだ。
そうなるとこれは日本で多数の出土があるのだが、百済からの制作技術の移転、すなわち百済系の渡来工人によって列島で制作されたと考えられる。冠の文様が百済系の飾り履と酷似する亀甲文であることも傍証となり、新徳1号墳の例も百済系工人によって製作された可能性が高い。(高田2019)。
新徳1号墳は、典型的な北部九州系の石室に、百済系の装飾木棺、そしてアクセサリーなどの副葬品から百済と倭との密接なつながりを読み取れ、その一方で、墓前祭祀に用いられた多量の土器は、現地で制作されたもので、それぞれの社会の複雑な関係性の中で、新徳1号墳が築かれたととらえることができる。広帯二山式冠が列島からの出土がほとんどで、あとの一例が栄山江流域の前方後円墳であるから、これが日本独自のものだとは言い難い。
以上のことからも、栄山江流域に築かれた前方後円墳が倭王権の支配を示す根拠にはならないのである。
大阪府堺市七観山古墳金銅製帯金具の波状内列点文
なお私見では、先ほどの三昧塚古墳の馬の意匠をもつ冠のデザインには注目すべきところがある。そこには帯の周縁部などに波状内列点文が施されている。図にあるように帯金具などにも施されている。さらに同じような文様が、加耶や新羅の冠などにも多数認められる。すると、この広帯二山式冠には、加耶・新羅の要素も加わっていることになり、さらには藤ノ木古墳金銅製冠のティリヤ・テペの意匠との類似などきわめて国際色豊かな美術品となるのである。
なお私見では、先ほどの三昧塚古墳の馬の意匠をもつ冠のデザインには注目すべきところがある。そこには帯の周縁部などに波状内列点文が施されている。図にあるように帯金具などにも施されている。さらに同じような文様が、加耶や新羅の冠などにも多数認められる。すると、この広帯二山式冠には、加耶・新羅の要素も加わっていることになり、さらには藤ノ木古墳金銅製冠のティリヤ・テペの意匠との類似などきわめて国際色豊かな美術品となるのである。
以上のように、広帯二山式冠は、天皇の威信財とは言い難く、また日本の独自の冠ともとらえられない。さらには、栄山江流域の前方後円墳をどうとらえるかという点で示唆的な文物となるものであった。なお、この広帯二山式冠の分布は、継体とされる男大迹(おほど)の勢力と関係が認められる点については、また改めてふれていきたい。
参考文献
辰巳和弘『他界へ翔る船』新泉社2011
高田寛太『「異形」の古墳』角川選書2019
韓永大『古代韓国のギリシャ渦文と月支国』明石書店2014
参考文献
辰巳和弘『他界へ翔る船』新泉社2011
高田寛太『「異形」の古墳』角川選書2019
韓永大『古代韓国のギリシャ渦文と月支国』明石書店2014