覚張隆史 『日本人とは何か 私たちのルーツを巡る700万年の物語』SB新書
近年のゲノム研究の成果によって提唱された「三重構造モデル」を、わかりやすく解説した入門書。
日本人のルーツが気になる方は、ぜひ本書をお読みいただきたい。
帯には「日本人の正体」に迫る、「3つの祖先」からできている、「日本人誕生」の新常識、といった謳い文句も誇張ではない。「三重構造モデル」は2021年あたりから言われだしたようだが、これも、古代人のDNA情報の分析が増加した成果による。
ご覧のように、一人一人の遺伝子は、縄文人の遺伝子に弥生時代の北東アジア祖先のものが加わり、さらには古墳時代に東アジア祖先の「第三の集団」という新たな遺伝子が重なって、現代人と変わらない構成になったのである。
現代の日本人のゲノムは大きく言って三つの集団の混血で成り立っているのである。そして、この古墳時代に劇的ともいえる大きな変化が起こったのである。いったいこの時代に何があったのかという問題が重要と思われる。
これまでの「縄文系」と「弥生系」という二重構造モデルでは説明できなかったことを、第三の集団の到来で説明されていることが特徴だ。
この書では、これまであまり触れられることのなかった大陸の草原地帯や牧畜の民、騎馬文化を持つ集団との関係が明らかにされてきたのだ。もちろん、直接列島に入ってきたというよりも、華北から半島を通じての移入が考えられる。
テレビドラマの「VIVANT」では、テントとも呼ばれるパオ(ゲル)が重要な場面によく登場する。そして、馬やラクダに乗るシーンもある。日本人のはるか遠い祖先にこのような暮らしをする人々がいたのである。これも以前に記事にしているが、島根県では正月の海岸にグロというテントをつくる祭事が残っている。そのグロは中国語で遊牧民のテントを意味する穹廬(きゅうろ)が語源と考えられる。
学べたことなどを少しだけ紹介
・先に、旧人類から新人類の動きが理解しやすいように説明されている。私たちには旧人類のネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子もわずかだが含まれているという。
・ホモ・サピエンスの出現年代は、20万年前から今後の調査結果でさらに更新されていくようだ。
・縄文犬のゲノム解析も進んでいるようで、縄文人の祖先集団の動きと犬の動きがリンクしているというのは、興味深い。
・特に注目したのは、縄文人の祖先集団につながる遺伝的特徴を持つ集団はほとんど消滅してしまったが、ネパールに類似のものがあるということだ。前に消えた大陸に縄文人の祖先がいたことを漆を例に説明しているが、海岸線の後退で追いやられた人々の痕跡が、ネパールにあったということになる。
・弥生人もその出自が複数あることも明らかにされた。西遼河地域集団だけではなく、中国の中心地となる黄河流域や周原といった中央平原の集団のゲノムの特徴を持つことがわかってきたという。古墳時代にもこの動きがつながっていくのである。このことからも、古代人のダイナミックな動きが見えてくる。
・長野県飯田市は馬具や馬骨が多数出土する地域。その中の溝口の塚古墳は地域最大級の前方後円墳の人骨のゲノムの特徴。縄文成分と東アジア成文のみ検出。弥生の成分がなく、東アジア系成分と縄文系が直接混血していた可能性。さらにancIBDという手法で血縁関係の近さを推定する方法で、韓国に血族があったことが判明。この男性被葬者と韓国釜山近郊の大成洞古墳群から出土の女性個体との間に、6~7親等程度の血縁関係が存在する可能性があるという。
これは、加耶の列島との関係を示すものと思われる。騎馬文化などを持つ加耶人が渡来し、縄文系統の女性との婚姻で生まれた子孫が信州方面に進出していることを示すものになりえる。また、加耶人も、大陸の遠方の集団と関係していることも明らかとなる。加耶の王族がローマングラスを所有するようになった道筋の解明にもつながると思われる。
・DNAの断片が同時に存在する。
現代日本人の一人のゲノムの中に、縄文時代の短い断片、弥生時代の中程度の断片、古墳時代の比較的長い断片が混在している。後続する集団と混合しながら現在まで持続しているということ。
かねてより、弥生時代の後半から古墳時代、さらには7世紀後半の白鳳時代までに、大陸からの移住の波が、何度もあったと考えてきたものとしては、このゲノム解析の研究がさらに進むことを期待したい。
それに関連して希望したいのだが、三つ目の集団を古墳時代と限定するのではなく、7世紀末までの人の流入があったことは、説明に加えてほしいと思う。白村江戦後に新羅が半島の統一をすすめる中で、多くの百済人、高句麗人が列島に流入していることは、日本書紀にも明記されている。ただ難しいのは、古墳プラス飛鳥・白鳳時代というのを一言で表す言葉が思い浮かばないが。かねてより、弥生時代の後半から古墳時代、さらには7世紀後半の白鳳時代までに、大陸からの移住の波が、何度もあったと考えてきたものとしては、このゲノム解析の研究がさらに進むことを期待したい。
最後に、この「三重構造モデル」を、今の歴史学者、考古学者のみなさんに積極的に受け止めていただくことを望んでいる。騎馬民族説を否定され、一部の渡来人から馬の飼育、技術を学んだ、という理解では、日本人の遺伝子構造を大きく変えた事実を説明できないのではなかろうか。「騎馬民族征服説」では誤解を招くので、私は騎馬遊牧民移住説と考えているが、これはもう避けて通れない問題だとしたい。
著者は次のように明言する。
「文化と人の移動は分離できない現象であり、古墳時代の再編は、物質文化と遺伝的構造の双方に痕跡を残した」のである。文化の情報だけが伝播したかのような説明はそろそろ改めてほしいと思う。
この第三の集団の渡来について、『日本書紀』と『古事記』の記述や、遺跡の遺物などから、関連して説明できる問題などを、今後のところでも取り上げていきたい。
参考
覚張隆史2026『日本人とは何か 私たちのルーツを巡る700万年の物語』SBクリエイティブ株式会社
金沢大学HP『パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造』
棒グラフの図は 金沢大学HPによる
















