著者は古典エッセイストとして活躍。ユニークな切り口で古典を語っておられる。ここでは、昔話の主人公に見られる特徴から、古代社会の問題を浮き彫りにされている。
柳田国男によると、派生的なものを除いた日本の昔話106話のうち、動物、竜、神しか出ないものは16話、老人が主人公となるのは28話、何らかの形で老人が登場するのは19話だという。老人が主人公となる28話のうち貧しさが強調されたのは5話、働く老人は17話、共働き4話となり、金持ちだった老人の話はないそうだ。
著者は、生産性の低い弱者であるはずの老人が、昔話ではなぜ重要な役割をはたしているのか?と、問いかける。
健全な老人は尊敬・愛着の対象、しかしいったん老人に心身の衰えや、老衰・痴呆などの症状が現れ始めると、彼らは社会のお荷物となり、冷たくあしらわれることになる。移動を繰り返す狩猟採集民族には、動けなくなった老夫婦が家族と離れ姿を消すなどの事例もあった。
縄文時代研究の山田康弘氏も、遺跡に残るその扱いから高齢者は排斥されたというのが実態と指摘されている。
天明の大飢饉では牛や馬を食い尽くしたら、死人の肉を食っていたという。江戸時代の高山彦九郎の『北行日記』には、「死骸を私にください、その代わり私の母親が餓死したら差し上げますから」という記録もあるという。現代に生まれていて、ホントに良かったと思ってしまうが。
遠野物語には、姥捨て山の話もあり、以前の映画だが、「楢山節考」の老人を背負って、谷に向かうシーンはあまりに強烈で哀しくなったものだ。
昔話に登場したのは、高齢者が少なかったからではない。そこには平均寿命という錯覚がある。子供の出生率が高いと平均寿命は下がる。逆が今の日本なのだ。
61歳まで生きた者の平均寿命は男74.3、女74(1675~1776)だったようで、ヨーロッパでも平均寿命40~45歳だったが60歳を超えると長生きしているとのことだ。鎌倉時代、藤原貞子(北山准后)は1196~1302の 107歳だった。
45歳で隠居などというのはごく一部のことであっただろう。また律令以降、古代の役人の定年は70歳だったとか。持統紀には年八十以上に稲を賜うといった記事もあり、長寿の存在が見過ごせないほど存在していたのだろう。
また老人遺棄については、定住していない採集民や狩猟民、さらに遊牧民に多く見られるという。老人みずから、家族から姿を消すこともあったようだ。
2.考えさせられる昔と現代の老人問題のギャップ
著者は昔話の老人について次のようにまとめている。
1.昔話では子や孫のいない老人が大半
2.昔話の老人はたいてい貧乏
3.子や孫がいても、捨てられるなどの「冷遇」を受けていること
が多い。
が多い。
4.「良い老人」「悪い老人」などで表現され、過酷な「生存競
争」の世界がある。
争」の世界がある。
以上からその特徴は「貧困と孤独と嫉妬」だという。
つまり昔話に子のない老人が多いのは、ひとつには社会の最底辺ともいえる貧しい者たちが金持ちになるというギャップの面白さを狙っている。もう一つは実際に前近代には「子供のいない老人」、独身のまま年を重ねる老人が多かった現実があるのだと。
ぜひ一読をお勧めしたいのだが、これは過去の話ではなく、現代の日本の超高齢化社会の問題を考えることにもつながると思われる。現代の高齢者は、その多くは、昔に比べればはるかに恵まれていると言えるだろう。高齢者を守る意識、施策は充実してきているが、ややもすればそのことに甘えてしまっている状況も見えるように思う。一方でそれが、若者たちへの負担になるという、アンバランスな状態が深刻化しつつあることを危惧したい。今の若い世代は、将来、同じ条件で高齢化を迎えることができるとは、誰も思っていないのではないか。
太古、老人は「社会のお荷物」だったようだが、現代でも違う意味で、若者たちの本音としてお荷物と言われる状況があるのではないかと考えてしまう。ボケてしまうまでは、できるだけ若い人たちに迷惑をかけないようにつつましやかに、生きることを心掛けたい。
参考文献
山田康弘「老人と子供の考古学」吉川弘文館2014
図はイラストACよりダウンロード

