
左側面と裏面には、生前の夫妻の暮らしぶりが描かれている。もちろん裏側は見えないが、その図が図録にあり転載させていただく。(図をクリックしていただくと拡大して見れます)史君は薩保の台形のフェルト帽を被ったり、鳥翼冠を載せていることもある。これだけの立派な石堂であることからも、ソグド人キャラバンのリーダーであり、胡王であったといえる。

石槨(石堂)の東壁に、故人の魂がチンワトの橋の上を進んでいく様子が描かれている。右下に二人のゾロアスター教の祭司がバダーム(マスク)をつけて橋の方を向いて立っている。そこで使者の魂を来世に送る儀式をとりしきる役割だという。史と彼の妻が行列を率いて橋を渡っている。あとに子供と馬2頭、ラクダなど動物が続く。重要なのは史と妻が橋の下にいる牙をむき出した怪物を無事にやりすごしたことにある。
ゾロアスター教の教えによれば、真実を話し、正しい行いをした者だけが、無傷で向こう岸まで渡れる。そうしなかった者は、橋がどんどん狭まって刃1枚ほどになり、最後は下に落ちて死んでしまうという。この話、何か似たものが・・・
松本清張氏も言及しているので、引用させていただく。
「死んで四日目になると死者の魂は『チンワットの橋』のたもとまで風に運ばれ、アフラ・マズダ神によって生前の行為を秤にかけられる。悪なる魂は橋の下にひろがる地獄へ落され、善なる魂は橋の向こうの天国へ行く。どちらにも行けない魂は、天国と地獄の間にあって最後の審判の日まで待たねばならない。
ゾロアスター教(拝火教)は中国に入り祆教となり、密教では護摩、東大寺二月堂の修二会の松明、鞍馬の火祭り、民間行事のどんど焼きなどになる。
またゾロアスター教の『チンワットの橋』の裁きは仏教に入って閻魔大王の裁判、キリスト教の『最後の審判』に変化する。」(松本1990)
そう、嘘をつけば下を抜かれる閻魔様と三途の川の話の元となるものではないか。半島に胡僧が仏教を伝えたというが、日本にもソグド人が、仏教にゾロアスター教やマニ教などの要素含めた宗教文化を伝えっていったのではないだろうか。

正面の階段の左右にも人物が描かれている。泣く人の表現が見られ、なにやら、人の顔にもみえるが体つきは動物?を囲むように悲しんでいる様子も両側にみられる。説明がないので想像だが、この造形は、おそらく人面鎮墓獣かもしれない。一対の鎮墓獣を墓に副葬する習慣が北魏の時代から唐まであったようだ。そういえば武寧王陵からも鎮墓獣が出土している。

最後に、このような立派な石堂は日本に例はないが、これも想像ではあるが、熊本県の江田船山古墳の石室は、墓室と棺を兼ねたようなもので、この石堂のイメージで渡来工人が簡略化して作ったものと思っているが、どうであろう。
まずは、直接ご覧いただいたらと思う。
参考文献
ヴァレリー・ハンセン『図説シルクロード文化史』田口未和訳 原書房2016
松本清張『過ぎゆく日暦』新潮社1990
大シルクロード展図録 発行東京富士美術館