流砂の古代

古代史の誤解や誤読、近畿一元史観ではなく多元的歴史観についてや縄文の話題などを取り上げます。

シルクロード

高松塚古墳絵画の男性が持つのはポロのマレット

中国ポロ
 天理参考館の中国唐の時代、乗馬ポロを楽しむ女性を描いたもの。おそらく、彼女の右手にマレットが握られていた。このポロが高松塚古墳絵画にも関係している。
高松塚絵画
 同じ古代史の会で奈良新聞の方から、うれしい知らせが届いたので、転載させていただきます。 向かって右側の男性が持つものがポロのマレットだという見解を論証されている。注目は、このポロが、唐にはソグド人が伝えたこと、さらに「大陸に目を向けることで新たな境地が開けるのでは」というところであり、おっしゃる通りである。私も以前に、こちらで少しふれていますので、ご覧ください。
 実は壁画の向かって左側の男性が手にしているのは、折りたたみ椅子の床几である。当時は、誰もが持っていたものではない。これも騎馬遊牧民に関係するもので、これについては、改めてふれていきたい。
 この壁画の問題に限らず、古代の様々な事物も、ユーラシアを視野に入れた検討が必要と思われる。

2024.05.08 奈良新聞
奈良県明日香村、高松塚古墳壁画・西壁男子群像の“杖”「ポロ」のマレット~ 橿考研の中村氏「唐の壁画と共通点」史資料検討し独自見解
 奈良県明日香村の国宝・高松塚古墳壁画(7世紀末~8世紀初め)の西壁男子群像が手にする杖状の持ち物は、ポロのマレット(スティック)ではないか―。中国・唐や中央アジアの壁画と史資料を検討し、そんな説を県立橿原考古学研究所(橿考研)の中村健太郎主任企画員(中央ユーラシア史)が発表した。これまでマレットとみる見解もあったが、証拠を示して論じたのは初めて。
 高松塚古墳壁画の西壁男子群像のうち右端の人物は、先端がL字型をした杖状の持ち物を手にする。従来は権力を象徴する威儀具とみるのが通説となっていた。
 中村さんは近年発掘調査が進む唐の壁画に描かれた、男女の従者の棒状持ち物を調査。男子はポロの毬杖(きゅうじょう=マレット)、女性はT字型やU字型の杖と描き分けていることが分かった。唐時代の出土遺物も調べた結果、毬杖はL字型で高松塚壁画と共通し、中村さんは「高松塚壁画の持ち物もマレットと判断できる」と話す。
 ポロは馬に乗って行う団体球技。ペルシャ発祥で中央アジアを経て唐や日本へ伝わったとされる。
 中村さんは中央アジアの壁画や中国の史料から、唐には7世紀後半以降、当時商人として活躍したペルシャ系のソグド人らによって伝えたられたと指摘する。
 日本では平安時代初期(9世紀前半)にポロが行われた記録があり、5月の端午の節句に行う宮中の年中行事や、外交儀礼で天皇らが権勢や栄華を誇り実施した。
 それ以前の飛鳥―奈良時代には、万葉集に「打毬之楽」の表現があり、平城宮跡(奈良市)ではポロに用いたと考えられる「木球」も出土。ただ日本書紀や続日本紀などの正史には記録がなく、中村さんは「当時は唐から伝わった最先端の娯楽として皇族・貴族が私的に興じたのではないか」とみる。
 さらに高松塚壁画のマレットはやや短く、馬も描かれていないため、「騎馬ではなく徒歩で競技するポロを表現した可能性がある」と語る。唐では徒歩で競技する場合もあったという。
 中村さんは3月20日、橿考研で開かれた講演会「高松塚古墳壁画の系譜―東西交流の視点から―」で説を発表した。「高松塚壁画の研究は国内にとどめず大陸に目を向けることで新たな境地が開けるのではないか。今回の研究はその問題提起になれば」と期待する。  以上

ペルシャ帝国創建のキュロス二世と簒奪者のダレイオス一世

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 古代オリエント世界を支配した二人の王の墓

 ペルシャ帝国を創建したキュロス二世(前559~前530)は征服者であったが、バビロン捕囚で連行されたユダヤ人などの帰還を許すなど、寛大な政治を行ったようだ。最後は騎馬民族マッサゲタイ遠征で戦死したと伝えられる。イランのパサルガダエ(現代名パーサールガード)に階段状の台の上に切妻形の石造の墓室がある。
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 後に反乱が続く中、ダレイオス一世によって支配体制が確立する。写真は、ナグシェ・ロスタム遺跡の王墓4基の中のダレイオス一世の墓 左下のレリーフはシャープール一世 ローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕虜にするシーンとのこと。冒頭の写真の人(松田美緒さん)との比較から、岩壁に彫られたその大きさが窺える。
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 ダレイオス一世はキュロス二世の家系から王位を簒奪したのだが、自己正当化のためにキュロスの家系とさも近いとするように系図を捏造している。
 キュロスシリンダー(円筒碑文)にあるキュロスの家系は、
 私はキュロス(二世)、世界の王、偉大な王、正当な王、バビロンの王、シュメルとアッカドの王、(大地の)四つの縁の王、カンビュセス(一世)の息子、偉大な王、アンシャンの王、キュロス(一世)の孫、偉大な王、アンシャンの王、ティスペスの子孫、偉大な王、アンシャンの王、常に王権を(行使する)家族の。
 
 ダレイオスの系図(ベヒストゥーン碑文)は
 私の父はヒュスタスペス、ヒュスタスペスの父はアルサメス、アルサメスの父はアリアラムネス、アリアラムネスの父はティスペス、ティスペスの父はアケメネス。
 
      下図は二つの系図を合わせたもの
キュロス家系

 キュロスの家系にアケメネスの名は無く、両者の系図はティスペスになってやっとつながる。このことから、ダレイオスが自らを正当化するために、アケメネオスの名をはじめて使って、キュロスの家系と一つにまとめる付会、いわばこじ付けを行っているのである。
 小林登志子氏は、「『系図』というのは、功なり名とげた人物が、後になって創作していることはよくあることで、日本史でも知られていること」とされる。よくいわれることだが、継体天皇のケースもあてはまるかもしれない。後継者のいない武烈天皇の後に皇位を継いだ継体は、応神天皇五世とのことだが議論は絶えない。王族となれば、相当な規模の作り込みが行われていると考えられる。

参考文献
小林登志子『古代オリエント全史』中公新書2022

写真は松田美緒さんからの提供 家系図は『古代オリエント全史』より

「歌う旅人」松田美緒さん・イン・サマルカンド

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      松田美緒さんのオフィシャルサイトはこちら
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 同じ史学サークルのお母様を通じて写真を送っていただいてます。ソグド人の有名な壁画や独特の骨壺(オッスアリ)、など掲載します。

 ウズベキスタン国サマルカンドのアフラシャブ博物館
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  7世紀の装飾の納骨器(オッスアリ) 横口式で蓋もあります。
オッスアリ

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         動物や人の個性的な土人形

今後もアップさせてもらいます。


英雄マナスの伝説における二倍年暦の場合の、一か月の日数の問題

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            英雄マナスを語るキルギスの老人(ウィキペディア)

1.英雄の異常出生譚
 以下は「シルクロードの伝説」のキルギス(柯爾克孜)族の男、マナス(瑪納斯)のお話。
 はるか昔、ジャケップ(加庫甫)夫婦は百歳にもなるのに子がなかった。ある年、妻のお腹が大きくなったが、ちょうど20ケ月たって産み落としたのは、なんと肉の塊だったので、ジャケップはカンカンに怒った。「魔物のしわざで、わしが捨ててこう」妻は言った。「どんな姿であろうと、わしの身から出たものじゃ、どうか一度、なかを割って見せてください」懇願されてジャケップはうなずいて、肉塊をわってみると、なかには可愛らしい男の赤ん坊がいた。マナスの誕生だった。後に馬や弓矢にたけて兵士として活躍、民から愛された、という。
 いわゆる、尋常でない出生が王たるものの聖性を保証するといった、貴人が不可思議な生まれ方をするという誕生譚だが、この場合の異常な誕生にあたるのは、肉の塊を割ると男の赤ん坊が出てきたというところだろう。なにやら桃太郎の誕生と類似しているが、ではこの夫婦が高齢でさらに妊娠期間が通常の倍であるというところはどうであろうか。
 百歳の夫婦は実は二倍年暦で50歳となるのではないか。さらに、男の子は20か月たって生まれたのであろうか。これも、20ケ月ではなく半分の10ケ月、と考えれば普通に理解できる。しかし、古代では月数はどうなっていたのだろうか。一か月15日などとしていたのであろうか?その可能性がある暦法がティティと呼ばれ古代インド、チベットなどにあるという。

2.一か月を二つに分ける古代の暦法
 「国立天文台暦Wiki」によると、ティティとは、月と太陽の黄経差=月の満ち欠けを、12°ごと=30個に等分したものだという。太陰暦月の日付を数えるのに用いる。
 新月から満月までの満ちていく期間を白分 Śukla pakṣa 
 満月から新月までの欠けていく期間を黒分 Kṛṣṇa pakṣa 
この白分と黒分それぞれで日付を数えるという。
 またウィキペディアでは、「伝統的なインドの太陰太陽暦では、1ヶ月(1朔望月)を前半と後半の2つの期間に分ける。 朔から望まで(月が満ちていく期間)は白分(śukra pakṣa)といい、望から朔まで(月が欠けていく期間)は黒分(kṛṣṇa pakṣa)と呼ぶ。 そしてティティも、例えばある月の第1番のティティは「白分第1ティティ」といい、朔から数えて第16番目のティティは「黒分第1ティティ」という風に、白分・黒分に分けて呼ぶのが普通である。」とされている。
 また『大唐西域記』巻2に「黒分或十四日十五日。月有小大故也」とあって、必ずしも15日ではなく、14日の場合もあるという。
 上記のような白分と黒分をそれぞれひと月とカウントすれば、20か月で生んだというのは、現在の暦では実は10ケ月となるので、正常分娩となる。よって、この英雄マナスは、50歳ほどの親から10ケ月で誕生したという2倍年暦で理解できる可能性はある。
 この白分、黒分がそれぞれ月数とすれば、1年は24ケ月となる。ただし、上記には1年を何カ月とするかの明確な記述はない。さらに検討は必要ということになろう。

参考文献
「シルクロードの伝説」(訳:濱田英作 甘粛人民出版編サイマル出版会1983)
玄奘 (著), 水谷 真成 (翻訳)『大唐西域記』東洋文庫1999

ランドサット衛星写真の幻のロプノール湖

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 CDが登場してから、レコードは聞かなくなって、オーディオも処分してしまっていたが、CDより音がいいという評判の声もよく聞かれるようになって気になっていた。ただ家にはやんちゃな猫さんがいるので、迷っていたが、まあ試しにと安価なプレーヤーを購入してみた。もう30年以上も聞かなくなって屋根裏に放置していたレコードを聴いてみて、巷で言われる通り、音が違うなと実感。その最初に針を落としたのが、喜多郎のシルクロードのテーマのレコードで、少し温かみを感じる音に感激。何度も聞いたはずの曲なのに、新鮮な気持ちで繰り返し聞くようになった。
 そのジャケットの素敵なデザインを眺めていたが、ふと中を見ると、もうすっかり忘れていたのだが、付録が入っていることに気が付いた。
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 広げてみると昔懐かしい初期のランドサット衛星のシルクロードの写真。現代では、グーグルで解像度の良いものを当たり前のように見る事ができるけど、当時としては、とても貴重な40年前の私にとってはお宝のような記録写真の付録だ。
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 その地図を音楽を聴きながらぼんやり見ていた時に、楼蘭の近くにロブ湖とあるのに気が付いた。ロプノール湖と言われている幻の湖が、やがて流砂にうずもれてしまうかのようなか細い姿で写されていた。(図はロブ湖)それでもまだ琵琶湖より広いかもしれないが。さまよえる湖だとか、その存在については議論もされてきた謎の湖だった。消滅したはずが、20世紀の初めに復活していたようだ。その姿をはっきりと見る事ができるのは貴重なものではないか。
 この衛星写真がいつ頃撮影されたものなのかはよくわからないが、レコードの発売が1980年で、ランドサットの最初の打ち上げが1972年なので、70年代後半のものとなろうか。まだその頃には水を湛えていたことになる。(写真の図は着色加工されているので、少し水増しして描いた可能性もあるかもしれない)だが今はグーグルで見ても、ヒトの耳の形のような痕跡を残しているだけだ。復活した湖がまた消えてしまったことは残念だが、これも栄枯盛衰の人の世のはかなさと重なるような気がする。古代に活躍しながらも、やがては新たな動乱で姿を消してしまう集団、民族が無数にあったに違いない。そのような歴史から消えてしまった彼らの痕跡を少しでも見出すことができればと思う。