JR栗東駅改札口午前10時30分出発
→伊勢遺跡史跡公園(学芸員さんに解説をお願いしています)※雨が降らなければここで昼食 → 皇大神社→大宝神社→JR栗東駅乗車、草津駅経由、手原駅下車→栗東歴史民俗博物館→栗東自然観察の森→和田古墳群→JR手原駅(解散・京都駅周辺にて交流会)
※栗東駅前にアルプラあり。 雨天決行ですが・・・伊勢遺跡公園に屋根付き休憩場ありません。雨の場合は、大宝神社の軒先などで済ませます。雨具などご用意を。
お気軽にご参加ください。参加費は無料です。
お気軽にご参加ください。参加費は無料です。
「主構造は鉄骨だが、6パターンの材形状からなる1,180本以上の折線状のスギ無垢材が面剛性の補強材になっている。映像投影面は折線間の段差を無くす3D加工を現場で施し、様々な加工技術を集約させた力強い木の空間を作り上げた。」(tmsd萬田隆構造設計事務所)とのことです。
〇展示室の遺跡復元ジオラマ これはすごいです! 共同で作業する人々の様子もよくわかります。とても細かく作られています。
保存会の方々の手作りによる大作です。 業者委託だととんでもない金額に。古代史の研究、普及には、専門家と一般の歴史ファンの人々との連携がとても大切ですね。
◆伊勢遺跡 ・時代は、紀元60~180年頃と推定(森岡秀人氏) 卑弥呼の時代の前でした・・・
「野洲川流域発信の手焙型土器の浸途は、この地域で誕生した火と関わる土器祭祀と儀礼行為の秘儀が着実に伝わっていった証しとも言えよう。その具体的な復元をいま考えつつある(森岡)。
この地では、現代の感覚では想像しがたい祭祀を、各地から集まった人たちによって繰り返しなされていたのでしょう。
わずか百年ほどで、すべての柱を抜き去って、新たな地へ移動したようだが、どこに向かったかは不明。この時期は名古屋の朝日環濠集落も同様に洪水などの異常気象への対応に苦労していたのであろうことがしのばれるのである。
この地では、現代の感覚では想像しがたい祭祀を、各地から集まった人たちによって繰り返しなされていたのでしょう。
わずか百年ほどで、すべての柱を抜き去って、新たな地へ移動したようだが、どこに向かったかは不明。この時期は名古屋の朝日環濠集落も同様に洪水などの異常気象への対応に苦労していたのであろうことがしのばれるのである。
〇主な特徴
・5種類の大型建物 独立棟持柱建物など伊勢神宮の神明造りや出雲の大社作りとよく似た様式のものがあり、先駆的な建物として関連性が注目される。
・円周上に配列された多数の建物
・9棟もの五角形住居 日本海沿岸地域に多くみられるとのこと。
・受口状口縁部を持つ壺など 近江系土器 全国各地に広がってます。
◆皇大神社 伊勢遺跡と関係する聖地だったのか?
主祭神大日孁貴命 アマテラスでしょうか?
近くに、以前見学した火祭りで有名な勝部神社があります。
岩戸神話には、安河が出てきますが、近くに野洲川があります。またそのあたりに物部村が。
ただ、当地は新開地であり、幕末にこの地に入植した人達が明治初年に伊勢神宮を奉斎して、この里の氏神として皇太神社を創建したもの、とのこと。(守山市HP)
◆大宝神社
旧名 大宝天王宮 祭神…素盞鳴尊
当神社は、701年(大宝元年)疫病流行の時、小平井村信濃堂(シナンド)(現在の栗東市小平井)に降臨された素盞鳴尊と稲田姫命を霊仙寺村(栗東市霊仙寺)経由綣村(栗東市綣)の地先、追来神社境内に4月8日ご鎮座。これにより疫病が鎮まったと伝えられる。
他に松尾芭蕉の歌碑あり
☆地名 「綣」へそのいわれ 説明板あり 7世紀にへそ地名が存在した可能性 異説あり。
万葉歌1-19 額田王が近江京に下った時の井戸王の歌
綜麻がたの林の前のさ野榛(はり)の衣につくなす目につくわが背
◆栗東歴史民俗資料館 無料
エントランスホール正面には狛坂磨崖仏(複製品)をシンボルとして展示。栗東市南部の金勝山中にある実物と同じ大きさの巨大な石仏がお出迎え
◆栗東自然観察の森 無料 まずはネイチャーセンターへ
◆和田古墳群 6世紀中頃から7世紀 展示施設は休み
5号墳は、楕円墳。竪穴系横口式石室(8号墳以外すべて)を持つ。羨道には石を詰め込んだ排水溝がある。床には木棺に使われていた釘や鎹(かすがい)。
8号墳は、玄室から銀装太刀・青銅製馬鈴・鏡板付轡・金銅製空玉・須恵器が出土 以上