1.愛知県清須市の朝日遺跡の円窓付土器
環濠のある弥生集落だが、従来、防御施設といった解釈がされてきたが、こちらで示したように、洪水など、水害対策用の施設などが主な役割と考えられるようになってきている。(こちらでは、高地性集落や環濠集落の意味を根本から見直されつつある状況を説明)
そこに、胴部にぽっかりと大きな穴をあけた土器が多数出土している。円窓付土器と言われており、弥生中期後葉の時代に尾張地域に分布している。墓域とその周辺などから出土しており、居住域からは少ないようだ。焼成後の体部穿孔や口縁部打ち欠いたものもあるという。「風化痕」と見られる痕跡があり、屋外に放置され、風雨にさらされた状況から、墓に供えられたことの傍証になり、やはり、供献壺と共通のものとなる。
せっかく完形品を作っておいたのに、わざわざ壺、容器としての役割を損なうような大きな穴をあけるという行為の意味はなかなか理解できないが、同じようなものを韓半島でも制作して、儀礼に用いられていたとするのは興味深い。同じ信仰を持つ集団が、この地に居住したのであろうか。
2.古墳時代の胴部に小孔のある土器
「𤭯(はそう)とは須恵器の器名で、胴の部分に小さな丸い孔をあけた壺」のことだという。その次に、この孔の役割を説明されている。「この孔に竹などで作った管を挿入し、酒などの液体を注ぐ注器として使われたと考えられている」とのことだ。竹菅を注口になるように差し込むための孔だという説明だが、ちょっと素直には受け取れない。これについては、くわしい説明が、ウィキペディアにあるので(こちら)ご覧いただきたいが、根拠となる事例が、静岡県の郷ヶ平古墳出土人物埴輪で、両手でかかげる様に容器をもっており、そこに注口がついているのである。
しかし、よく見ると、これは先端部にかけてすぼまっているような形状である。とても竹管を差し込んだもののように見えないのだが。確かにこの容器の形状は𤭯とされる須恵器と同じ形の表現であり、出土したものに、胴部に注口を最初から付けているものは見られないことからすると、後から竹などを差し込んだということになる。すると、あけた穴にピッタリになるように、表面を削りながら差し込んだのか。同様の胴部に小孔のある須恵器は韓半島にも存在しているが、同じような使い方がされていたのであろうか。
しかし、よく見ると、これは先端部にかけてすぼまっているような形状である。とても竹管を差し込んだもののように見えないのだが。確かにこの容器の形状は𤭯とされる須恵器と同じ形の表現であり、出土したものに、胴部に注口を最初から付けているものは見られないことからすると、後から竹などを差し込んだということになる。すると、あけた穴にピッタリになるように、表面を削りながら差し込んだのか。同様の胴部に小孔のある須恵器は韓半島にも存在しているが、同じような使い方がされていたのであろうか。
3.栓がされた𤭯や鈴付きの𤭯
いろいろ疑ってみるのだが、過去に撮影したものを見直していると、吹田市立博物館に、蓋がされて小孔部に栓がつけられた状態の𤭯の展示があった。この場合はお酒でも入れて保存していたのであろうか。さらに、特殊な例もあることに気が付いた。
長岡京市埋蔵文化財センターに、鈴付きの𤭯というものがあって、胴部の下半分に仕切りがあり、そこに小石が入れられて振ると鳴る仕組みだ。底にもちょうど鈴に見られるような孔が付けられている。この場合は、儀礼のために鈴の音を出しながら注いでいたのであろうか。
長岡京市埋蔵文化財センターに、鈴付きの𤭯というものがあって、胴部の下半分に仕切りがあり、そこに小石が入れられて振ると鳴る仕組みだ。底にもちょうど鈴に見られるような孔が付けられている。この場合は、儀礼のために鈴の音を出しながら注いでいたのであろうか。
ちなみに、縄文時代には、下部というか底面の少し上に小孔のある土器があるが、これは、とても注ぎ口用にあけたとは思えない。この場合は、縄文人の信仰上の意味のあるものであったと思われる。
古墳時代の須恵器の小孔が、注ぎ口を装着するためというのは、間違いではなさそうだが、その小孔に、竹菅などを装着する際の痕跡などがないのか、などまだまだ資料がほしいところである。鈴の働きを兼ねた𤭯の例など、いずれにしても胴部に穿孔のあるものは儀礼や信仰上のものであることに相違はない。
参考文献
高崎市観音塚考古資料館「観音塚古墳の世界」改訂版2015
冒頭の光州博物館の写真は、松尾匡氏の撮影のもの。
郷ヶ平古墳出土人物埴輪の写真は「文化遺産オンライン」より






























