三重県猿田彦神社の火打による火鑽習俗
『常陸国風土記』 久慈郡に次の記事がある。
『常陸国風土記』 久慈郡に次の記事がある。
「北有小水 丹石交錯 色似㻞碧 火鑽尤好 因似號玉川」
現代語訳「北に小川がある。赤い石が入り混じっている。色は、|琥碧《クハク》に似ていて、火打石に使うのに大変良い。それで玉川と名づけている。」
小学館風土記の注の火鑚の箇所に、「ここでは石を打って発火させる意」とあるが、これはやや不十分な説明。
メノウなど硬度のある石(鉄より硬い)で、火打金に打撃を加えても、その石自体が破損しないから、強打しても、火花が出やすいので火打石に適しているということだ。
すなわち風土記は、火打金で火花を出すのにとてもよい石だとしているのだ。この記事から、8世紀の初めには、火打で発火させることを行う人たちが少なからず存在したことを示している。実際に、7世紀頃に隣県の千葉県我孫子市で火打ち金出土している。8世紀以降には関東一円で見つかるようになる。
火打石による発火は、占いや縁起担ぎに使われている。
『栄花物語』に、藤原道長が、火打ちによって点火した時、一度目で点火することを願い、それが叶ったことを記しており、火打金による発火はしばしば占いにも使われ、それが平安時代には行われていたのである。
神社の神事では、摩擦法による発火が一般的と思ったが、神官が火打による発火を行っている神社も少なからずあるようだ。
神事で火花式発火法が行われている神社は、以下のようだ。
・宮城県塩竃神社 1/14ドント焼き
・三重県猿田彦神社 大晦日大祓式 ドント焼き
・奈良県龍田神社 2/3護摩祈願
・島根県大田市物部神社 9/1田面祭 美保神社
・広島県福山市沼前神社 旧暦6月頃 お手火神事
・山口県防府市磯崎神社 7月中伏日 お礼祭
・武蔵国二宮 金鑚(カナサナ)神社 埼玉県児玉郡
金鑚神社の元禄年間(1688-1704)につくられた「金鑚大明神縁起」や明治35年(1902)の「金鑚神社鎮座之由来記」によると、 金鑚神社の創始は 「景行天皇41年に日本武尊が東国遠征の折に、倭姫命より授けられた草薙剣とともに携えてきた 火鑽金(火打金)を御霊代として山中に納めて、天照皇太神と素戔嗚尊の二柱の神を祀ったことによる」と伝えられている。
ここでは、ヤマトタケルは古事記の通りに火打金を所持していたとの記事になっている。
同じような伝承が、酒折宮にもある。
甲斐国を訪れたヤマトタケルが、酒折宮を発つとき、「吾行年ここに御霊を留め鎮まり坐すべし」と言って、火打嚢を塩海足尼(塩見宿禰)に授けた。その勅を奉戴した塩海宿禰がこの火打囊を御神体として、月見山の中腹に社殿を建てたことが神社の創建となった。
古事記、日本書紀のいずれも酒折宮と記しているが、火打などの記事はない。また、御神体だからなのかわからないが、火打を使った火鑽神事はないようだ。
まだまだ、火打に関する祭事、伝承はあるかもしれない。