図はChatGPTによって作成
遠征を終えて尾張国に帰って来たヤマトタケルは、先に再会を約束したミヤズヒメの家に入った。食膳が用意され、ミヤズヒメが酒をすすめた時に、着ていた襲(おすい)の裾に月経(つきのさわり)のものが付いていたのを見て歌をよむ。ミヤズヒメもこれに答えて歌をよむ。そして一夜をすごした朝にヤマトタケルは剣を置いて伊吹山の神の討伐に向かうという『古事記』の逸話である。
遠征を終えて尾張国に帰って来たヤマトタケルは、先に再会を約束したミヤズヒメの家に入った。食膳が用意され、ミヤズヒメが酒をすすめた時に、着ていた襲(おすい)の裾に月経(つきのさわり)のものが付いていたのを見て歌をよむ。ミヤズヒメもこれに答えて歌をよむ。そして一夜をすごした朝にヤマトタケルは剣を置いて伊吹山の神の討伐に向かうという『古事記』の逸話である。
この説話により、女性民俗学者からも「月経という語が見られる早い例」として取り上げられることも多く、一般の解説でも、女性の衣に経血が付いていたと理解されているのである。
しかし、これは誤解であったことを、古事記の文章に見られる特徴などから説明していく。なお該当の原文と現代語訳は末尾に掲載させていただいた。
1.「月経」は誤解されていた
古田武彦氏は、『古代史の十字路』で、このヤマトタケルとミヤズヒメの説話にある「月経」について、本居宣長の『古事記伝』も援用しながら、これは別の意味があると説明されている。
「月立たなむ」とは、十一月から十二月になるというように、次の月になること、新しい月が立つこと。同時に、港の要害の意味の「津城」(つき)とし、(あなたが)港を去って行くことを、かけているという。つまり男のほうが、もうここを、去らなければならない。そう言ったのに対して、女のほうが、もっとあなたに居て欲しい、次の月になっても、もっとあなたに居て欲しいと嘆願している歌だと解釈された。
そしてこの一節は「地の文」(「月経」文)と「問答歌(「非月経」歌)との接合をはかろうとしたものと捉えられ、地の文は、現代の「月経」を意味すると解釈された。
だがこれには疑問があった。
後半の地の文では二人は「御合」したと書かれている。次田真幸等の現代語訳では「結婚した」とややぼかした表現になっているが、これは男女の営みとするのがよいのではなかろうか。すると、問答歌と同じように、字の文の述作者も月経ではないことを想定していたと考えられる。これに関連して、日本書紀景行紀四十年是歳の、ヤマトタケルがミヤスヒメを娶ったという記事に次のようにある。
後半の地の文では二人は「御合」したと書かれている。次田真幸等の現代語訳では「結婚した」とややぼかした表現になっているが、これは男女の営みとするのがよいのではなかろうか。すると、問答歌と同じように、字の文の述作者も月経ではないことを想定していたと考えられる。これに関連して、日本書紀景行紀四十年是歳の、ヤマトタケルがミヤスヒメを娶ったという記事に次のようにある。
日本武尊、更還於尾張、卽娶尾張氏之女宮簀媛、而淹留踰月
淹(ひさ)しく留(とどま)りて月を淹留踰月(へ)ぬ
日本書紀は、二人が結婚してからの記事としているが、この「月を踰ぬ」が古事記の「月を経(へ)」と同じ意味なのではないだろうか。つまり、長い時間が経過したことを意味していると考えられる。
さらに問題がある。
字の文の「其於意須比之襴著月經」、歌の「意須比能須蘇爾 都紀多知邇祁理」とあるように、意須比之襴(おすひのすそ)についての説明が必要と思われる。都紀を津城としても、「意須比能須蘇」との関連が不明なのである。これは、「月」と「都紀」に別の意味があるとした方がよいのではないか。
字の文の「其於意須比之襴著月經」、歌の「意須比能須蘇爾 都紀多知邇祁理」とあるように、意須比之襴(おすひのすそ)についての説明が必要と思われる。都紀を津城としても、「意須比能須蘇」との関連が不明なのである。これは、「月」と「都紀」に別の意味があるとした方がよいのではないか。
では二人とも衣の裾に何を見たのであろうか。その何かがどうして「月を経る」と結びつくのであろうか。これを外国文学と日本の古典との関係を説く多ケ谷有子氏による納得のいく解説があった。
2.言葉遊びや洒落で作られた物語
多ケ谷有子氏は、江戸後期の国学者橘守部の『稜威言別』における月経を否定する見解を踏まえて、古事記に見られる言葉遊びなどの視点から、この月経について興味深い解釈をされている。
そこで先に、「言葉遊び」の事例をいくつか見ていきたい。
垂仁記のホムチワケの一節は、口がきけなかったホムチワケが鵠(くぐい・白鳥のこと)の鳴き声を聞いて初めてしゃべることができたという逸話だが、このきっかけとなった鳥がなぜ鵠なのかというと、この漢字の偏が告であり、つまり告げるという言葉遊びであった。
この鳥と関係させる言葉遊びが、ヤマトタケルの説話になるといくつも見られるという。
ヤマトタケルの元の名は|小碓命《をうすのみこと》であった。兄は大碓命であるが、この碓の字にはある意味が隠されている。この「碓」の偏となる「石」の一画目の「一」を「口」の中に入れると「白」になる。そして「碓」の右側の「隹」は「とり」という字である。ゆえに白鳥となる。最後に白鳥となって飛び立っていくヤマトタケルは、その幼少期の名前に白鳥が暗示されていたのである。
次にヤマトタケルの東国遠征に、|御火焼老人《みひたきのおきな》と歌を交わす一節がある。|吾妻《あづま》の国から甲斐の国まで何日寝泊まりしたのか尋ねると、火をたいていた老人が九夜十日と答えるのである。するとヤマトタケルはこれを褒めて称号を与えたという話なのだが、なぜそれだけのことで老人に称号が与えられるのか疑問である。だがこれも鳥と関係させた言葉遊びなのだという。
「火焼」の「ひたく」は鳥の名前で漢字では「鶲」で偏が翁であり、これは老人を意味する。つまり、
火焼 → 鶲 → 火焼翁 → 火焼老人 という言葉遊びであった。
最後に「言葉遊び」ではないが、古事記には歌謡が多く挿入されているが、地の文とは無関係な歌が使われるといった転用がなされている場合がある。その例として、イヅモタケルの謀殺譚がある。ヤマトタケルは、相手の刀をこっそりと刃のない木刀に変えて謀殺したという。そこに歌謡が差し込まれている。
「イヅモタケルが腰につけている太刀は、鞘に葛(つづら)をたくさん巻いてあった見かけはりっぱだが、刀身がなくて、ああおかしい。」
だが、原文は次のようである。
夜都米佐須 伊豆毛多祁流賀 波祁流多知 都豆良佐波麻岐 佐味那志爾阿波禮
この「佐味那志爾阿波禮」(さみなしあわれ)を刀身がなくておかしい、とするのは誤読なのである。
「佐味那志」は刀身がないということではなく、錆び(佐味)がない刀だと歌っているのである。そして、「あはれ」は「哀れ」ではなく、元来「あっぱれ(天晴れ)」という誉め言葉だという。
本来は、イヅモタケルの佩く刀は飾りも付けた錆びもない立派な刀だと歌っているのであり、地の文とは様子が違うのである。つまりこれは、『古事記』述作者が、おそらくは引用した歌を誤解して、話の筋に合うと考えて差し込んでしまったということになる。さらには、現代においても、「あわれ」が誤解されたまま、現代語訳として「哀れ」(気の毒)と説明されているのである。
以上のような点を踏まえて、問題の個所に誤読があったことを説明する。
3. 意須比之襴(おすひのすそ)とは
「意須比之襴」に何かがあって「月を経る」と結びつくことになるのだが、この「意須比之襴」とは何を表しているのであろうか。
「意須比」はヤチホコ(八千矛)神の妻問いの歌に「淤須比(おすひ)」とあり、頭からすっぽりとかぶるものという説明があるが、それではミヤズヒメが酒を注ぐ場面にふさわしいものではなく、ここでは外套着と考えてよいとする。仁徳記には「波夜夫佐和氣能 美淤須比賀泥」(ハヤブサワケ王の着物のため)とあることからも外套着(外着)で問題ないといえる。
では「襴」はどう考えればよいであろうか。これについては日本書紀に礼服に関する記事がある。
天武十三年閏月四月に、朝廷に参集する日は襴(すそつき)の衣を着用するようにと規定している。岩波の注では、「衣服の下部に別のきれでつけるすそで、中国風の服制」とある。
ただ最近では、朝鮮半島の服装をもとにつくられた日本服とも考えられているようだ。
つまり特別な日のための礼服となる。そうであるならば、ヤマトタケルを食事と酒でもてなす場面に、ミヤズヒメの礼服が経血で汚れている、などということはありえないのである。
では、ヤマトタケルはどうして礼服の襴を見て「月が経る」、すなわち時間が経過した、と思ったのであろうか。「月」と後の歌にある「都紀」の「ツキ」には別の意味が隠れていたのである。 (後半に続く)
以下に原文と現代語訳を交互に掲載
於是、獻大御食之時、其美夜受比賣、捧大御酒盞以獻。爾美夜受比賣、其於意須比之襴著月經。故見其月經、御歌曰、
お食膳をさし上げるとき、ミヤズヒメはお杯捧げて|献《たてまつ》った。このとき、ミヤズヒメの着ている|襲《おすい》の裾に月の障りのものがついていた。それで、その月の障りを見て|命《みこと》が御歌に、
比佐迦多能 阿米能迦具夜麻 斗迦麻邇 佐和多流久毘 比波煩曾 多和夜賀比那袁 麻迦牟登波 阿禮波須禮杼 佐泥牟登波 阿禮波意母閇杼 那賀祁勢流 意須比能須蘇爾 都紀多知邇祁理
ひさかたの、天の香具山の上を、鋭くやかましく鳴きながら渡ってゆく白鳥よ。その白鳥の頸のように、か弱く細いなよやかな腕を、枕にしたいと私は思うけれども、あなたとともに寝たいと私は思うけれども、あなたの着ておられる襲の裾に、月が出てしまったことよ。
爾美夜受比賣、答御歌曰、
多迦比迦流 比能美古 夜須美斯志 和賀意富岐美 阿良多麻能 登斯賀岐布禮婆 阿良多麻能 都紀波岐閇由久 宇倍那宇倍那宇倍那 岐美麻知賀多爾 和賀祁勢流 意須比能須蘇爾 都紀多多那牟余
そこでミヤズヒメがこのお歌に答えて、
日の神の御子よ、わが大君よ。年がたってすぎゆけば、月も来て過ぎてゆきます。いかにもいかにも、あなたのおいでを待ちきれなくて、私の着ている襲の裾に月が出てしまったのでしょう。
故爾御合而、以其御刀之草那藝劒、置其美夜受比賣之許而、取伊服岐能山之神幸行。
そしてご結婚になって、その帯びておられた|草那芸剣《くさなぎのつるぎ》をミヤズヒメのところにとどめて、伊吹山の神を討ち取るためにお出かけになった。

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