舒明3年3月百濟王義慈、入王子豐章爲質
百済王義慈が、王子の豊璋を質(むかはり)として倭国に送る記事がある。もちろん一人で来朝してきたわけではなく、配下のものなども同行したはずである。その中に、孝徳紀に登場する田来津(たくつ)という人物が、後に、百済王として即位する豊璋といっしょに百済に帰国したと考えられる。この点について説明する。

1.孝徳紀で古人皇子の謀反に関わりながら、後に政権側の立場で行動した人物
 大化元年9月 古人皇子、與蘇我田口臣川掘・物部朴井連椎子・吉備笠臣垂・倭漢文直麻呂・朴市秦造田來津、謀反。
 中大兄は兵を差し向けて古人皇子を殺害もしくは自死させている。ところが、謀反に関係した5名の処罰されるといった記事はない。ただ吉備笠臣垂は自首したという記事があり、これで許された可能性はあるが、残りの人物は不明のままだ。
 白雉5年2月の遣唐使の記事に、判官大乙上書直麻呂とあり、これは倭漢文直麻呂と同一人物と考えられる。
 また、斉明4年11月に謀反を図ったという有間皇子を、蘇我赤兄の指示で物部朴井連鮪(えいのむらじしび)に命じて有間皇子の家を包囲させている。この鮪という人物が物部朴井連椎子(えいのむらじしいのみ)と同一人物と考えられている。
 さらに、天智即位前8月には、小山下秦造田來津が五千餘の軍を率いて豊璋を送っている。この人物は、朴市(えち)秦造田來津と同一人物であろう。そうすると、古人皇子との謀議の参加者が、罪を問われず、後に政権側の立場で行動を起こしていることから、古人皇子の謀反が政権側の策謀であったと考えられる。なお古人皇子は、乙巳の変の後に、「韓人殺鞍作臣」と発言していることも、百済との関係を言い当てているようであり、百済とは良好な関係ではなかったことがうかがえる。
 この中で、倭漢文直麻呂は、「倭漢」から東漢氏(やまとのあやうじ)という渡来系の人物であろう。また、朴市秦造田来津という人物も、「朴市秦造」から渡来系であることは間違いないが、この田来津について見ていきたい。

2.豊璋の遷都の計画を一人いさめた田来津

 この田来津は、倭国側が豊璋を送るために勅命を受けた人物であるかのように描かれている。だが、この田来津は、百済王にとって側近ともいえる立場であったようである。
 百済に着いた豊璋は、即位した後に州柔(つぬ)の都から避城(へさし)への遷都を提案する。痩せた土地では民が飢える心配があるので、農地に適したところへ移るべきだというのだ。これに対して田来津は、避城は敵地に近いので攻撃されやすく、州柔は山間にあるので防御に有利であると反対したのである。田来津は百済王に意見のできる立場であったのだ。だが豊璋はこれを聞き入れず遷都を強行した。案の定、まもなく新羅が攻め入ったために州柔に戻ることになってしまう。
 田来津の指摘通りであったのだが、それにしても、田来津はどうして百済地域の事情を把握していたのであろうか。これは、田来津が倭国の人物ではなく、元々百済出身であるからこそではあるまいか。日本書紀では、天皇が派遣したかのように書かれているが、実際は、百済人であり、おそらくは、豊璋とともに倭国に渡り、百済の都合に合うように策動していたのではなかろうか。謀殺された古人皇子は、百済にとっては良く思われていない人物であったのだろう。このように田来津は豊璋と共に倭国に滞在していた百済の高官であったと考えられる。
 さてこの田来津については、白村江戦で最期を遂げる様子が描かれている。

朴市田來津、仰天而誓・切齒而嗔、殺數十人、於焉戰死  嗔(しん)は怒るという意味である。

田来津は天を仰いで決死を誓い、歯をくいしばって怒り敵数十人を殺したが遂に戦死した。(宇治谷訳)
 
 この時の田来津の怒りは敵に対してだったのだろうか。私は、豊璋への怒りも含まれているのではないかと思う。意見が聞き入れられずに無謀な遷都を強行し、優秀な参謀であった鬼室福信を殺害して新羅を有利にし、白村江戦では楽観的な判断で泥沼に引きずり込んだ張本人である豊璋に対しての、言いようのない怒りが込み上げてきたのではないか。そして日本書紀は追い打ちをかけるかのように次のように記す。

是時、百濟王豐璋、與數人乘船逃去高麗

 田来津の決死の戦いのさ中に、あろうことか豊璋は数人の部下と共に船で逃走したのである。百済と豊璋の為に尽力してきた田来津にとっては、なんとも無念な死を遂げたことになるのではなかろうか。
 
 豊璋に同行した一派は、策謀に長けた集団であったようだ。古人皇子や有馬皇子の謀殺に関与しただけではないかもしれない。当然、豊璋自身も倭国滞在中に、大きな影響を与えたのではないかと考えられる。
 日本書紀は、豊璋に関してわずかの記事が残されているだけだが、私見では、皇極紀から突然登場する鎌足が同一人物ではないかと考えている。
 信じがたいと思われる方が大半であろうが、そのように考える根拠を、今後のところで説明していきたい。