既に、縄文時代の遮光器土偶や三内丸山六本柱について述べてきたが、他にも、明治時代以降の知識がないと書けないものが散りばめられた、およそ史書などというものではなく漫画のような創作であることをいくつか紹介する。実際の遺跡、遺物やアイヌ文化などが悪用されているので、きちんと説明しておきたい。

【1】遮光器土偶だけではない、江戸時代には未発見の遺物を悪用
ハート形
東日流外三郡誌第四巻中世編北方新社 昭和60年1985の絵図とハート型土偶
 
 明らかにモデルとわかるハート形土偶は、戦争の始まる1941年、群馬県吾妻郡岩島村(現在の東吾妻町)大字郷原で行われた国鉄長野原線郷原駅(現在のJR吾妻線郷原駅)建設工事で、調査を行った際に発見された(郷原遺跡)。土偶は河原石で囲まれた墓と思われる遺構の中から3つに割れた状態で発見され、左足先端部分は欠損していた。戦後の1951年に公式発表され、大きな話題となり記念切手も発行された。
 それが、死神?ダミカムイ? 馬鹿馬鹿しい
                   

【2】和田喜八郎は漫画家としてなら大成できたかもしれない?
虎塚

 茨城県ひたちなか市虎塚古墳で華麗な装飾絵画が発見されたのは昭和49年(1974)のこと。これが掲載された「偽書」はその10年ほど後に出版されている。古墳絵画をヒントに描いたのは明確。しかもほとんどそっくりで、ちょっと露骨すぎる。

ナスカ
 この図は、言うまでもないだろう。少し形は違ってもナスカ地上絵からのパクリであることは明らか。地上絵が発見されたのは1939年だ。
 利用したのは縄文やアイヌ文化だけではなかった。地上絵など、笑ってしまうしかない。阿曽部族の像?シンボルの事か。族長が左右の腕に入れ墨していた?よくもまあ、そんなことを思いつくものだ。すごい想像力ではある。漫画家としてなら手塚治虫と対抗できたかもしれない?(いや手塚さんに失礼だ)

【3】俗称が悪用された縄文の環状列石にある日時計状組石について
環状列石
絵図には、時刻と年暦を占うイシカ と書かれている。左は万座環状列石の石組み
 
 石神と称しているが、これは明らかに環状列石に付随する石組みを真似ている。有名なところでは秋田県大湯環状列石の野中堂の石組みがあり、隣接する万座の環状列石のいずれかを模写したとみて間違いないだろう。
 「中央の立石、これから放射状に延びる細長い石、四方向に丸い石が置かれ、これを繋ぐように石が並べられている」と説明されている。ただこの遺構は昭和7年(1932)に耕地整理の際に発見された。昭和21年(1946)の調査報告書では「いわゆる日時計遺跡・・・・実際に日時計として使ったという学者もいた」とある。
 昭和の初めに明らかになった遺構であり、それを日時計と表することが戦前の昭和の時代にあった。もちろん日時計の機能は全くない。誤解を招く名称ではあるが、他に適当な表現もないので日時計状組石とされているだけだ。
 絵図に添えられた一文は次のようだ。「日高渡島の人に用いられる石神 時刻と年暦を占うイシカと イナオカムイ施置 イシカカムイ塔 」とある。時刻、という言葉が出てくることがそもそもあやしい。アイヌの神にイシカは聞かれない。
 また石はカムイ語では「シコヤ」「シュマ」だ。昭和の初めに、どなたかが日時計と言い出した事をヒントに創作したとしか思えない。また木柱が立てられていたという事実もない。アイヌのイナウは樹木の前に飾られることはあるが、自然石や石造物に立てられる例は確認できない。手前に土器のようなものが描かれているが、調査では実際に土器が出土しており、それを知って描いたのではないか。
 絵図では石の形状や数がやや少なく見える。野中堂と隣接の万座のものが近い感じではある。ただこれも秋田県だ。他にも似たような状態の列石はある。北海道には数か所あるが、あえて似ているとすれば、小樽市余市町西崎山環状列石群だが、これは1965年の調査だ。
 いずれにしても、江戸時代の人物が描いたものではない。縄文遺跡やアイヌ文化を利用してこのようなフェイクを増産したことは、許すべきではない。馬鹿々々しい限りだが、フェイクがこれ以上拡散されたり、信じるようなことがないように願うばかりだ。