安中イノシシアップ
 安中市学習の森 ふるさと学習館の2階に考古・歴史資料の展示室がある。前回の群馬訪問では、パスしてしまったのだが、今回、見に行ってよかったと思う豊富でユニークな展示資料であった。
 はじめの写真は、四隅にイノシシが表現された土器だが、頭部の形が丸いので、まるで鳥のように見えてしまう。
安中イノシシタワー
安中イノシシ1列

  このイノシシの顔が付いた獣面付土器の破片が、大量に展示されている。(獣面把手ともいう)
 イノシシタワーと言う人もおられるが、可愛らしく見えるイノシシの顔が所狭しと並んでいる。鼻と口だけ見えてニコニコマークのようにも見えるものもあるが、いちおう写実的なイノシシ顔ではある。ただ、牙の表現がないことから、ウリボウか牙の目立たないメスを造形したものと考えられている。そこで、早くにイノシシを飼育していたのではという説もある。

安中四隅イノシシ
 四隅に配置したイノシシは、まるで四天王のような、縄文人の守り神としたものだったのか。それとも狩猟の成果を願う器だったのか。四隅に蛇表現がある土器も、祭祀のためであったのだろう。
安中蛇文

 このイノシシについてのパネルの説明に注目した。
「誰が獣面付き土器をつくったの? それまでの日本列島に具象的な造形物がないことから大陸からやって来た渡来系縄文人が作りはじめたものかもしれません」とあった。あくまで推測のような口調だが、このような考えをお持ちの方があるということが、私には大変興味深いことであった。以前からふれているように、縄文時代の文化の変遷を、あくまで列島内の自生的な発動による変化と見られる方が多い。しかしここでは、渡来系縄文人によるものとされているのだ。四隅に獣面を表現するというそれまでにない画期的な土器の出現を説明するには、こう考えるしかないのではないか。このお考えの方の論考がわかれば読んでみたいのだが。
 彼ら異文化をもつ渡来縄文人がやって来たとすると、他にも独特なものを作っていたのではないか。この中野谷松原遺跡は、大規模な集落遺跡だったが、縄文前期後葉の諸磯b式期には、直径110mの典型的な環状集落が形成されたという。通常の竪穴住居以外に大型掘立柱建物や大型住居も存在し、中央広場には土坑墓群が存在しており、この遺跡から大量の諸磯b式土器が出土している。

安中人面
 顔がけっこう立体的に表現された、いわゆる出産土器のようなものもある。その後ろに、三角壔形(側面が三角形で横に長い立体)土製品のその文様が、蕨手文の対称形になったものも注目。
日の字土器

 漢字の「日」、または「目」とかのように見える文様が、他に、群馬県みなかみ町の月夜野町郷土歴史資料館でみられる。
安中球体

 各種装身具に、丸い玉があるが、よくここまで球体状に磨ぎあげたことだと感心する。でも、身につけると重たくて邪魔な気もするが。
 
 『総覧縄文土器』には、特殊例として、イノシシの獣面把手の頭部に切れ込みを入れ、上面から見るとカエルに見えるよう表現した「二重獣面把手」が中野谷松原遺跡などに存在する、とあるが、写真を見返してもわからない。調査報告書の図版をみても、それらしいものを確認できない。
 縄文土器だけでなく、弥生・古墳時代なども、興味深い物ばかりだが、残念ながらこれぞというものがピンボケが多く、落ち着いて撮影すべきだったと反省。

参考文献
『総覧縄文土器』刊行委員会アムプロモーション2008
群馬県立歴史博物館「縄文文化の十字路・群馬」1998
2024.6.9撮影