ise 模様と天井
 群馬に古墳見学をされるなら必見の、西日本ではお目にかかれない芸術的な石室であり、それは飛白(かすり)模様とか水玉模様ともいわれる。
伊勢塚全体
 6世紀代の東日本で最大級、全長145mの前方後円墳である七輿山古墳のトイレを兼ねたパネル展示室のある駐車場に車を停めて、北へ徒歩10分のところにある古墳で石室は開放されている。
伊勢塚パネル
伊勢入り口
伊勢玄室全体
 いよいよ中へ。玄室への入り口の手前は低いので、頭を打たないように!私はおでこを打ってしまいました😿
模様積み

伊勢側面
 近くの鮎(あい)川でとれるという川原石の大きな石の周りに、棒状の平たい石をぎっしりと詰めて側壁を作っている。大変な手間であったのではないか。このような模様積みのある古墳は、藤岡市から隣接の埼玉県児玉郡にかけて分布しているという。藤岡市では霊符殿(れいふでん)古墳や平地(へいち)神社古墳、堀越塚古墳などを、ネットでも見る事ができるが、やはりこの伊勢塚古墳がもっとも秀逸なものであろう。
ise 羨道側壁
 玄室だけではなく手前の通路である羨道の側壁も同じように積まれており、細長い石が詰め込まれている様子がよくわかる。
伊勢塚天井石
 天井石は巨大な岩が載せられている。
 それにしてもなぜこのような積み方がされたのであろうか。ネットに中学二年生の研究レポートがアップされている。『模様積み石室大全』(こちら)を感心しながら読ませていただいたが、その中で、水玉模様が、茨城県の虎塚古墳の壁画に描かれた円文と同じようなもので、「埋葬者を守る聖なる空間」とされている。自分の中学生の頃を思うと気恥ずかしくなるが、そのレベルの差にただただ恐れ入るばかりだ。
伊勢塚八角
 また伊勢塚古墳の形状は、不正八角墳といわれている。完全な八角形と言い切れないのが残念だが、この八角墳については、あらためて三津屋古墳のところでふれたい。
伊勢石室図
 そしてこの玄室は、胴張り型石室と言われるように、玄室を上から見ると弧を描くかのような曲線になっている。九州をはじめとして全国に見られるようだが、これらにどのような関係があるのだろうか。
 なぜこのような形を石室設計プランに導入したのであろうか。八角墳について、その背景に道教や仏教思想を指摘される研究者もおられるが(梅澤重昭1997)、模様積みや胴張り型も、仏教などの当時の外来思想と関係するのではないかと想像する。単なる思い付きだが、この胴張も、ひょっとするとあの法隆寺のエンタシスの柱と同じ考え方で編み出された形ではないだろうか。
 
伊勢塚青海波
 採集された須恵器には波状文、円弧叩きが見られるが、その中に青海波(せいがいは)のような文様のものが見られる。こういったことからも、海外文化の特徴が強く見られる古墳と言えるだろ。
この水玉のような模様積みが、この地で生み出されたものなのか、それとも大陸に淵源があって表現されたのか、それは仏教思想と関係するのか、などを考えていきたい。
  
参考文献
右島和夫「群馬の古墳物語(上下巻)」上毛新聞社2018 (石室実測図引用)
志村哲「伊勢塚古墳の八角形墳丘プラン」月刊考古学ジャーナル414・1997(平面図と須恵器図を引用)
梅澤重昭「東日本の八角形墳丘古墳の性格と出現の画期」月刊考古学ジャーナル414・1997

2024.6.6撮影