いよいよ中へ。玄室への入り口の手前は低いので、頭を打たないように!私はおでこを打ってしまいました😿
近くの鮎(あい)川でとれるという川原石の大きな石の周りに、棒状の平たい石をぎっしりと詰めて側壁を作っている。大変な手間であったのではないか。このような模様積みのある古墳は、藤岡市から隣接の埼玉県児玉郡にかけて分布しているという。藤岡市では霊符殿(れいふでん)古墳や平地(へいち)神社古墳、堀越塚古墳などを、ネットでも見る事ができるが、やはりこの伊勢塚古墳がもっとも秀逸なものであろう。
それにしてもなぜこのような積み方がされたのであろうか。ネットに中学二年生の研究レポートがアップされている。『模様積み石室大全』(こちら)を感心しながら読ませていただいたが、その中で、水玉模様が、茨城県の虎塚古墳の壁画に描かれた円文と同じようなもので、「埋葬者を守る聖なる空間」とされている。自分の中学生の頃を思うと気恥ずかしくなるが、そのレベルの差にただただ恐れ入るばかりだ。
なぜこのような形を石室設計プランに導入したのであろうか。八角墳について、その背景に道教や仏教思想を指摘される研究者もおられるが(梅澤重昭1997)、模様積みや胴張り型も、仏教などの当時の外来思想と関係するのではないかと想像する。単なる思い付きだが、この胴張も、ひょっとするとあの法隆寺のエンタシスの柱と同じ考え方で編み出された形ではないだろうか。
この水玉のような模様積みが、この地で生み出されたものなのか、それとも大陸に淵源があって表現されたのか、それは仏教思想と関係するのか、などを考えていきたい。
参考文献
右島和夫「群馬の古墳物語(上下巻)」上毛新聞社2018 (石室実測図引用)
志村哲「伊勢塚古墳の八角形墳丘プラン」月刊考古学ジャーナル414・1997(平面図と須恵器図を引用)
梅澤重昭「東日本の八角形墳丘古墳の性格と出現の画期」月刊考古学ジャーナル414・1997
2024.6.6撮影