前二子全体
前二子山
 群馬県前橋市大室古墳群は、長径が1㎞にも及ぶ大室公園として整備されている。その中の6世紀初頭の前二子古墳は墳丘長が94mでその周囲を堀や外堤が取り巻く。全体がベンガラで塗られた横穴式石室で、ここが吉永小百合さんのポスターになっている。副葬品には、青色ガラス製や水晶製の丸玉、金環、銀製空(うつろ)玉などの装身具、金メッキの馬具の飾り金具など。屍床の手前の床に祭祀の須恵器が置かれており、それが石室内に復元されている。
前二子石室
 床面には凝灰岩製の敷石が前面に敷かれるというのは、めずらしい事例となっている。福岡県久留米市日輪寺古墳など6世紀前半以降見られるが、以前は不明。部分的に敷く例は、5世紀後半熊本県重盛塚古墳、肥後型と言われる5世紀後半の岡山千足古墳にある。
吊り金具
綿貫観音幕イメージ
 この二子古墳の石室に鉤状金具が約20点見つかっている。(写真の金具と石室内イメージは綿貫観音山古墳のもの)棺の周囲に幕などを吊るすためと考えられている。他に、高崎市綿貫観音山古墳、八幡観音山古墳、奈良県藤ノ木古墳に事例があり、そして半島では、百済武寧王陵、慶尚南道松鶴同洞一号墳、全羅南道長鼓峯古墳(前方後円墳)からも出土している。実は柳澤一男氏の指摘だが、前二子古墳の横穴式石室の形と、松鶴洞、長鼓峯の石室の形が似ているという。また武寧王陵の獣帯鏡の同笵鏡が綿貫観音山古墳より出土している。このように、半島と密接なつながりが見えてくるのである。二子古墳の被葬者は、半島からやってきた移住民のリーダー的存在であったのではないか。まさにエキゾチックな文化を持つ地域であろう。

 以下に、中二子、後二子古墳のパネルを載せておきます。(ちょっと見にくいですが)
中二子
後二子

 なお、後二子古墳の剣菱形杏葉の文様と、大阪府四天王寺宝物館の人の乗る馬形埴輪のものとそっくりなのだという。四天王寺のものは「伝群馬」とされており、実際に二子古墳のものが群馬から運ばれてきたようだ。それにしても、どういったいきさつがあったのか知りたいところです。
 
四天王寺杏葉
 後二子古墳からは、親子猿の小像がついた円筒埴輪、また前二子古墳からは、線刻の人面のある円筒埴輪、他に盾持人型埴輪など、ユニークなものが多く見られます。
人面円筒