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 次は持統天皇の作とされる有名な万葉歌28番歌である。
春過而夏来良之白妙能衣乾有天之香来山  
 春すぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山

 この歌にはよく言われてきたことだが、いくつも疑問があった。なぜ春の次に夏が来るという当たり前のことを歌にしたのか、また、持統天皇がいたとされる藤原京から山の洗濯物が見えるのか、どうして洗濯物が干されている様子が夏の到来と関係するのかなどである。
 ここではその疑問に答えられるものとして、白妙の衣は古代の対馬で初夏に咲くヒトツバタゴのことではないかとの推論を提示していきたい。

開化
 ヒトツバタゴ(別名ウミテラシ・ナタオラシ・ミズイシ、俗名なんじゃもんじゃ)はモクセイ科の大陸系植物で、古代より大陸への窓口であった対馬を象徴する植物として、対馬市の木に指定されている。また昭和3年に 国の天然記念物にもなっている。
 対馬北部の鰐浦地区は国内最大の自生地であり、5月初旬の開花期には3,000 本といわれるヒトツバタゴが一斉に白い花を咲かせ、初夏に積もる雪のようである。この鰐浦は、対馬海峡を挟んで韓国の釜山を望む対馬の北端にある。波の穏やかな日には、山を白く彩るヒトツバタゴの花の影が海面を白く染め、日が落ちかけても暗い入り江が明るく照らされることから「海照らし」とも呼ばれている。
 同じモクセイ科のトネリコ(別名「タゴ」)に似ており、トネリコが複葉であるのに対し、本種は小葉を持たない単葉であることから「一つ葉タゴ」の和名があるという(ウィキペディア参照)
 現在は名古屋など各地にも見られるが、それは近世の移植であり、もとは大陸、朝鮮に自生していたものが、その移住民により早くにこの地にもたらされたのかもしれない。
 このヒトツバタゴを昭和天皇は歌にされている。
「わが庭の ひとつばたごを見つつ思ふ 海のかなたの対馬の春を」昭和59年
 これは上対馬の町長が天皇の為にと持参し、それが御所に植えられたものだそうだ。昭和天皇も歌にするほどの見事な白い花の光景を、古代人も歌にしていたのではなかろうか。
 
⑴「らし」に注目された国文学者毛利正守氏の論文
 毛利氏は、「夏の到来・推移を根拠づける景について、またその根拠に基づく確信に満ちた推量表現『らし』  
等の検討を通して、萬葉歌の中にこの歌を位置づけることにしたい」とされる。つまり、該当歌は季節感を強く表しものだという視点で理解しなければならないということであろう。氏は、新井栄蔵氏の引用もされながら、古代中国の四時(季節)観が、日本ではより豊かな情念とより巧緻な感触を生み出す季節感が形成、成熟していったと説明されている。
 よく指摘されることだが、「いわばあたりまえのこと」のような「春すぎて夏来るらし」は、二つの季節を詠むだけの感動、さらに過ぎ去る春の季節を惜しむ気持ちがあり、それと同時に、この歌自体の主題は夏の到来にあるとし、その根拠を「らし」をもって詠みあげているところに力点があるという。ちなみに、「冬過ぎて春来るらし朝日さす春日の山に霞たなびく」(1844 ※暖が春)という該当歌と同様の二つの季節が詠われ、さらには、春・夏・秋の三季を読み込んだ「春は萌え夏は緑に紅の斑に見ゆる秋の山かも」( 2177)という事例もある。
 毛利論文では、推量表現「らし」の使われた歌が、該当歌以外に十三首あることを紹介されている。

①梅の花今盛りなり百鳥(ももどり)の声の恋(こほ)しき春来たるらし  834
②うちなびく春来るらし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲き行く見れば 1422
③霞立つ野の上(へ)の方(かた)に行きしかば鶯鳴きつ春になるらし  1443
④ひさかたの 天の香具山この夕(ゆふへ) 霞たなびく 春立つらしも1812
⑤いにしへの、人の植ゑけむ、杉が枝に、霞たなびく、春は来ぬらし 1814
⑥うち靡(なび)く、春立ちぬらし、我が門(かど)の、柳の末(うれ)に、鴬鳴きつ 1819
⑦冬過ぎて 春来るらし 朝日さす 春日の山に 霞たなびく 1844
⑧鴬の春になるらし春日山霞たなびく夜目に見れども  1845
⑨うち靡く春さり来らし山の際の遠き木末の咲きゆく見れば   1865
⑩白雪の常敷く冬は過ぎにけらしも春霞たなびく野辺の鴬鳴くも  1888
⑪野辺見ればなでしこの花咲きにけり我が待つ秋は近づくらしも  1972
⑫妹が手を取石の池の波の間ゆ鳥が音異に鳴く秋過ぎぬらし  2166
⑬今よりは秋づきぬらしあしひきの山松蔭にひぐらし鳴きぬ  3655

 以上の十三首は、「らし」を根拠づけているものが、いずれも鳥や花、霞、虫の声といった自然物であることを指摘されている。そうすると、持統の歌だけが特異な一首だというのである。はたしてそうなのであろうか。

⑵「白妙能衣乾有」に何らかの象徴と迫られた、奈良県立万葉文化館の井上さやか氏の論文
 先の毛利論文を踏まえながら、井上論文では、「衣乾有」という表現が自然物である可能性にもふれている。
 毛利論文では白妙の衣は実景であり、見立てとは考えられないとされたことに対し、藤原定家の『拾遺愚華』等で白妙の衣を卯の花の見立てと解している例も挙げながら、ただそれがなぜ、夏の到来を意味するのかという疑問を持つ井上氏は、どうして香具山に干してある白妙の衣が夏の到来を推量させる根拠となるのか、「白妙能生衣乾有」が何らかが象徴されていた可能性を排除できない、「衣乾有」をどう解するかが改めて問題となってくる、とされている。注1
 このように該当歌は百人一首にも取り入れられるなどたいへん有名な歌であるにもかかわらず、研究者を悩ませる問題を内包する歌なのであって、いまだに解釈に疑問が残る謎の歌なのである。
 しかし、「らし」のある歌で唯一、自然物でないという点も、見方を変えれば疑問も解消するのではないだろうか。夏の到来を示す根拠は、人工物ではなく白い花のことだとすれば、一気に氷解するのである。井上氏の言うなんらかの象徴とは、ヒトツバタゴのことと考えればよいのではないか。
 注1.中西進氏は、山に白いものが見える事実を、どう見立てるかと楽しんだ歌ではないかとし、該当歌は、香具山に残る白い雪を干してある白い布に見立てて戯れ楽しんだ歌だとされたが、いささか無理のある説明であり、夏を実感するものにはならないであろう。

⑶「たり」の事例にみる見立て
 「衣乾有」の「たり」は、動作・作用が完了し継続する状態を意味するが、万葉歌には見立てで使われていると思われるものがある。
  289  天原振離見者白真弓張而懸有夜路者将吉  
 天の原ふりさけ見れば白真弓張りて懸けたり夜道は吉けむ
 大空をふり仰いでみると、白い真弓を張ったように月がかかっている。夜道はよいことだろう。
  1847 淺緑染懸有跡見左右二春楊者目生来鴨
 浅緑染め掛けたりと見るまでに春の柳は萌えにけるかも
 浅緑色に枝を染めて懸けたと思われるほどに、春の柳は芽を出したことだ
 二例ではあるが、衣を干すということが、見立ての表現ととることは十分に可能であろう。

⑷鰐浦はヒトツバタゴの古来からの群生地
 この花の群生地の入り江は鰐浦である。日本書紀の神功紀には以下のような記事がある。
從和珥津發之。時飛廉起風、陽侯舉浪、海中大魚、悉浮扶船。則大風順吹、帆舶隨波、不勞㯭楫、便到新羅。
 神功皇后は、兵を整え、和珥津から出発するが、この地は現在の対馬の北端に位置する鰐浦のことである。帆船は神の力も受けて順風が吹いて舵も櫂も使うことなく新羅についたという。この鰐浦は半島と最短距離の港であって、活発に人の行き来するところであり、魏志倭人伝の記事の南北に市擢するとあるような物資の
やり取りを行う貿易港でもあったのではないか。4月に鰐浦に寄港しようとする人々には、目の前に広がる白い光景を見る事ができるので、船旅の疲れも忘れることができたかもしれない。
 ちなみに韓国ではイパプナムと言う名で、これは白い花で覆われた様子が白いご飯(イパプ)に似ていることから付けられたようだが、立夏(イッパ)の頃に咲くので、立夏木(イパモ)とも呼ばれている。台湾では「流蘇樹」(レースの木)、他に「四月雪」という呼称もあるようだ。(つづく)