タケミカヅチ

1.国譲り譚のタケミカヅチ(建御雷)とタケミナカタ(建御名方)の奇妙な戦い
 古事記では国譲りを迫るタケミカヅチに、大国主の二番目の子のタケミナカタが戦いを挑む一節がある。しかし威勢よく現れたタケミナカタだったが、腕が剣に変わったタケミカヅチにたちまち怯んでしまう。自分の腕を剣の形に変えることができるというのは、どのような思い付きから生まれたのか。それは、彼が剣の神であるから、剣の制作過程の表現を意味しているところからくるのかもしれない。そもそもタケミカヅチの祖神の石の神、火の神、水の神の出生の仕方も、火を焼き、石に載せて打ち鍛え、水に浸すという、鍛冶の工程を表していることは早くから指摘されている(大林1981)。同様に、腕が刀に変わるという表現も、赤く焼かれた鉄の塊が、何度も打たれることで、やがて剣の形に変わることを意味しているととらえることができる。
 この腕が剣に変わるというアイデアは世界にあったのであろうか。映画『ターミネーター2』では、T-1000型ロボットが腕を剣に変化させて、相手を瞬殺する場面がある。脚本を制作した監督が、古事記がヒントにされたのかと思えるような意表をつくシーンである。ところが古事記ではこの場面と次の展開には、いささかの疑問がある。それは、タケミカヅチはせっかく腕を剣に変えたのに、そして相手は怖気づいてしまったのに、どうして一気にその剣で仕留めなかったのかということである。さらに奇妙なことがある。
 爾欲取其建御名方神之手乞歸而取者 (ここにそのタケミナカタの手を取らむと、乞ひ帰して取りたまへば)
とある。なんと、今度は自ら素手で相手の手をつかまえている。剣になった腕をいつのまにか元に戻してしまっているのだ。そして、タケミナタの腕をつかんでちぎってしまい、たまらずタケミナカタは諏訪まで逃げて命乞いをするのである。そうであるなら、最初から腕を剣に変えなくても素手で勝負がついたはずであり、話の筋として奇妙なのである。実はこういった謎も、他に類似の話があってそれが取り込まれたと考えれば説明がつくと思われる。

2.『ベーオウルフ』との類似が指摘される、日本の伝説や伝承
 『ベーオウルフ』という中世イギリス英雄叙事詩は、諸説あるが8世紀には作られたとされている。この英雄詩の第一部では妖怪で巨人のグレンデルが、デンマークのフロースガール王の城の中で家臣を次々食い殺していたために、隣国からやって来た主人公であるベーオウルフが退治をする物語で、第2部では、そのグレンデルの母親が、ちぎられた息子の腕を取り返そうとするが、これもベーオウルフによって殺されるといった物語である。
 多ケ谷有子氏によると、英国学者パウエルは『ベーオウルフ』と「源平盛衰記」内の「剣巻」や謡曲「羅生門」で語られる「渡辺綱伝説」とにおける五つの類似点を挙げている。①鬼または妖怪の出没 ②鬼(妖怪)の敗北と片腕の喪失 ③借りた刀または剣 ④女の姿をした怪物 ⑤失った片腕の取戻し、以上の 5 点である。パウエルは、「英国と日本の物語の共通点については、同じ物語が双方にあると考えざるを得ない」としている。(多ケ谷有子2011)このような類似は他の研究者からも指摘がされている。
 金石文や能の研究家でもある藪田嘉一郎氏は、能『松風』の西欧からの伝播を主張し、合わせて、能『羅生門』も、元朝を介しての西欧からの伝播であろうと論じた。南北朝から室町初期にかけて、外国生まれの説話によって作られた戯曲は相当あるとし、幸若舞の「百合若大臣」、能の「船弁慶」「羅生門」「大江山」などを挙げている。ギリシヤ神話がマルコ・ポーロに表れるような東西交通によってもたらされたという。
 中世に伝わった話が元になっているというのだが、古代の話にも類似があるという。多ケ谷氏は、古事記の国譲り神話のタケミナカタの戦いにいくつもの共通点を指摘している。(つづく)

※剣の先にあぐらを組む姿のタケミカヅチの図をよく見かけるが、これは古事記の誤読と考えられる。
   拔十掬劒、逆刺立于浪穗、趺坐其劒前
   (とつかつるぎを抜き、さかさまに波頭の刺し立て、その剣の切っ先にあぐらをかいて)
 この場合は剣の柄を刺して立てるのであって、タケミカヅチは立てた剣を前にして坐るとするのが妥当。ここでは、彼が雷神でもあることから、剣先に稲光を放つイメージにした。