御経塚一の土器
 写真は石川県野々市(ののいち)市ふるさと歴史館の展示品。御経塚遺跡は縄文時代の後期中ごろから弥生時代初頭、今から3,700年から2,500年前の大集落の跡地で、縄文の出土品などが多数展示されている。面白い文様のものがいくつもあるが、その中にひょっとして漢数字の「一」を書いたのかと思うような土器がある。
 浅鉢形土器赤彩痕があり、時代は八日市新保式(3,350〜3,300年前頃)のものという。中国の甲骨文字が使われた殷の建国はおよそ3700年前なので、その文字を知る人たちが、この地にやって来たのであろうか。次のように、両端に刺突点が施されたものがあるので、あくまでこの「一」は横線としての文様であったとも思える。
点のある一の土器
ただ、別の土器にも刺突点のない「一」もあるので、文字を意味していた可能性もあるとしたい。
一土器2
 はたして当時の縄文人は、数としての文字という認識はあったのだろうか。以前にこちらで取り上げた大湯環状列石から出土のサイコロのような点で数字を表した土版があるように、横棒で数字を表すこともあったのではないか。もしくは何らかの記号のようなものであろうか。
 他にも「山」のようなデザインが施された土器がある。山字状三叉文というそうだが、似たようなものが時代は古墳時代と異なるが、種子島の広田遺跡にある。「山」と言う漢字ではないともいわれているが、両者に何らかの関連があるとするなら面白い。
山字土器1
山土器2
広田遺跡 山
 また、大変珍しい形状の土偶がある。まるで光背?を表現したようなものだが、なんとも不思議な土偶である。
光背土偶
 2,800〜2,500年前のものだそうだが、西日本は弥生時代に入った頃であり、弥生文化の関係とかいろいろ想像できるのではないか。
 ほかにも見どころいっぱいであるが、実はこちらのウェブサイトで手軽に出土品を一点ずつ説明付きで見る事ができる。とってもすぐれもののサイトである。ただ直接、間近でいろんな角度から見ていただくのが何よりであり、当館の隣接地に御経塚遺跡復元の公園もあり、観光のコースの一つとして見学していただいたらと思う。

参考文献
布尾和史「北陸の縄文世界 御経塚遺跡」(シリーズ遺跡を学ぶ87)新泉社2013

※広田遺跡の図は、「邪馬台国大研究」のホームページによる