諏訪大社
 古代から水神や在地の守護神とするような蛇信仰があった。人の命を奪う毒牙を持つものもあり、姿を見かけると多くの人が忌避するであろう蛇を、人はどうして神にしたのか。しかも崇められるはずが神話では最後に一刀両断に切られるのは何故なのか。人が蛇をどのように捉えていたのかを考えてみたい。

(1)蛇は世界中で神となっていた。
 博学無比の南方熊楠は「蛇の伝説は無尽蔵」とした。日本でもはるか昔から蛇は特別な存在だ。縄文時代の土器には生々しく蛇が造形されたものがある。しかしたいていの研究者は直接言及されない。       
松川町土器
「ありきたりの修辞にいら立っていた」谷川健一氏は述べる。「蛇身装飾土器によってそうしたあいまいな比喩を突破して前進した・・・蛇に憑かれた人間たちが縄文中期に存在し、集団表象を生むにいたった」と。縄文の時代から蛇信仰はあったのだ。それだけではない、さらに人類の歴史をさかのぼる今から2万数千年も前の後期旧石器時代、バイカルシベリア、マルタ遺跡の出土物に細かな線刻が波打つような文様があり、明らかに蛇が描かれている。
 蛇信仰は世界各地に広がっていた。エジプトではコブラが太陽、火のシンボルとされ、王の冠や額の装飾となった。インドでは七つの頭のナーガ信仰があってタイなどにも広がった。中国の祖先神は伏犧、女媧(ふくぎ・じょか)の人面蛇神の夫婦神だ。台湾では噛まれると百歩も行かぬうちに死ぬという猛毒の百歩蛇(ひゃっぽだ)が、首長の祖先として崇められその図柄の衣装を纏った。古代メキシコでは羽毛を持つ蛇のケツァルコアトルが蛇神として崇拝されていた。チチェン・イッツアのピラミッドは春分と秋分の日に太陽の光と影で階段底部の大蛇の頭から見事に胴体が浮かび上がる。今はYouTubeで容易に見られるが、1977年当時のテレビ中継を画面にくぎ付けになって見ていたものだ。その神秘的な光景に謎は膨らむばかりだった。どうして蛇なのか?

⑵吉野裕子氏の蛇信仰論
 なぜ蛇が信仰の対象として、神として崇められたのかを、氏はいくつも蛇という生き物のもつ特性から解明されている。すべてはふれられないので、いくつか重要な点を述べる。
 四肢がないのに動きまわれて男根の形をしていること。古代人の信仰にとっては陰と陽の観念は欠かせないものであり、蛇を陽物として崇めたであろう。
 敵を一撃にする毒をもつこと。神は人のためになる優しい存在ではない。神は恐ろしい力を持つものであると考えられ、蛇の攻撃力は神として畏れられたであろう。
 脱皮を繰り返すこと。古代人は間近にその行為の様子見て、蛇のように脱皮ができない人間は、それを神事の禊ぎとしてもどく(まねる)ようになったのだと。今でこそ清い水で身体を洗い流すこととされるが、元は蛇の脱皮からきたのだ。氏の卓見だ。蛇の抜け殻まで信仰の対象や薬とするなど、脱皮という行為への関心は高い。茅輪くぐりも脱皮にあやかろうとした行事だと氏は指摘する。ニーチェは言った、「脱皮できない蛇は滅びる。その意見を取りかえていくことを妨げられた精神も同様だ」(『曙光』)
 こうして蛇は祖霊、祖先神と見なされることになった。エデンの園でアダムとイヴをそそのかす蛇は悪魔と見なされ、一神教にとっては排撃の対象となるが、それでも世界各地に蛇信仰は広く深く根付いている。氏によればやがては直接的な表現から、蛇に似た造形の対象を崇めるといった見立ての信仰が深く広がったという。
 二十時間を超えるという記事もある濃厚な交尾の様子。驚異的で霊的な生命力を表すその姿がしめ縄を表すというのも的確な指摘であり、出雲大社や宮地嶽神社の巨大なしめ縄も蛇の交尾から考えられた造形だ。    
 蛇が神の資格を持つに十分な理由となろう。しかし、古代神話研究の堂野前彰子氏は、吉野氏の解説ではなぜスサノオが大蛇を退治するのかなどの説明がない、とされる。もっともな指摘である。はるか古代より蛇が特別な存在と認識されていたのは、私はまだ他に重要な事情があると考える。

⑶蛇は水の神様だけでなく、再生、そして命を生み守る存在だった。
 世界保健機構の旗にはギリシャ神話の医学神アスクレピオスに由来する杖に巻き付く蛇が意匠となっている。アスクレピオスは常に蛇の巻いた杖を持って怪我や病気で苦しむ人たち助ける。彼が蛇の持つ生命力、治癒力を使える存在なのだろう。蛇は永遠の命を持つとも考えられていた。それは脱皮をする蛇が、禊ぎとされた精神の更新のみならず、命の再生とつながるからであろう。
 蛇が人の生命と関係づけられていることから、実際の赤子の誕生も蛇とつながると考えられる。吉野裕子氏は、生れたばかりの赤ん坊も最初は蛇のように扱われる。袖のない着ぐるみで身体を巻かれておかれるのは、蛇としての扱いを意味するという。私は、その赤ん坊の誕生の時に、人が蛇とイメージするものがあったのではと考えたい。そうすると古代人が蛇を神と考えた最大の理由、母と赤ん坊をつなぐ、臍帯、へその緒によるものではないだろうか。古代人は臍帯につながれた生命誕生のシーンを目の当たりにして、驚異的であり神秘的な光景に戦慄し、お腹とつながったへその緒に神の姿を思い描いたかもしれない。人類は進化の過程で蛇の存在を早くに察知して警戒する遺伝子をもったという。人類の祖先が、生れたばかりの赤ん坊と母をつなぐへその緒を蛇だと直感したとしてもおかしくはない。

⑷蛇と見立てられた臍の緒
 出産後の胎盤と臍帯は現代では医療機関を通じて処理されるが、古代においては、住居の軒下や周辺に埋納された。縄文時代からその風習は続く。どうして大切に扱われたのか。フレイザーの「金枝篇」によると世界中で行われていたとされ、子供の守護霊などのように見なされていたという。生れるとお役御免で処分されたのではないのだ。守護霊などと考えられたのは、臍帯すなわち臍の緒がまさに蛇だと考えられたからではないか。ギリヤーク族のように森の一本の木に吊るすなどは、木の枝を這う蛇のようにしたのだろうか。
 日本書紀の崇神紀の箸墓伝承は他の説話同様に諸外国に類似の話がある。大地のガイアとの間にできたエリクトニオスを受け取った女神アテネは、自分の児を三人の娘に預けた。その際アテネは箱の中を絶対に見てはいけないというが、二人の娘は言いつけを破って箱の中を見てしまう。箱の中には半人半蛇のエリクトニオスとそれを守るように赤児に巻き付いた蛇がいた。これを見た二人の娘は半狂乱になって自殺する。これは巻き付いた蛇が臍の緒を意味しているのではないか。日本の場合は、夜にしか訪れないオオモノヌシの姿を見たいというモモソ姫の願いがかない櫛用の小箱の中を見ると、そこには小蛇がいた。お腹からとれた臍の緒を小箱に保管する慣習が現在にもあるが、古代にもなんらかの入れ物に保管されることがあってこの説話につながったのかもしれない。注1 以上のように臍の緒を蛇と考えたことが、蛇神の成り立ちの決定的な理由と考えたい。

⑸藁蛇と綱引き神事 
 ヤマタノオロチ神話のような、最後に蛇が切られる説話は各地にある。11世紀にパガーンに王朝を創始したビルマのアノウラータ王は、チャウセ地方の灌漑工事を始めたある夜に三匹の蛇の夢を見た。王は南方の蛇を四つに切ったが、南の河に四つの堤防と運河を建設したことを意味した。さらに真ん中の蛇を三つに切ったが、中部の河の三つの工事の完成を意味した。北方の蛇は切ることができず、北方の河の工事は失敗に終わったという。蛇と治水工事が関係する話だが、重要なのは蛇を切ることが工事の完成を意味するのであり切らなければ仕事は成就しないということだ。
 同様の説話が大蛇山祭りを行う九州の三池にもある。人々を苦しめていた大蛇のために玉姫が生贄になる。そこに以前に姫が大切に育てたツガニ(モズクガニ)が大蛇をハサミで三つに切って姫を救う。山頂にある三つの小さな池は三つに切られた大蛇の身体のあとにできたものだという。
小山蛇
 スサノオはヤマタノオロチを切ったことにより、もう生贄の必要はなくなった。神楽の蛇切りは出し物のクライマックスとなるもの、欠かせない演目だ。各地に藁蛇の祭りがあり、最後に樹木に掛けたり巻き付けられるがなかには頭を切り落とす行為もある。私はこれを、ビルマ王の説話にあるように切ることで事が成就する意味を持つと考えたい。蛇である臍の緒から生命が生まれるが、つながった緒を切ってやっと出産という大事業は完了する。だからオロチ神話は最後に切られる話として作られたのではないか。
 各地に残る綱引き神事の始まりも私は出産と関係があるとしたい。その勝敗によって豊作や今年の降雨を占い最後に綱は切られるのだが、母体と胎児がつながった臍帯を蛇と見立てた綱のように考え、綱引きの踏ん張りを出産時の「いきみ」の再現のようにもどく行為としたのではないか。最初から勝つ方が決まっている場合もある。大人と子供の対決では、最後はわざと子供が勝つようにしている。それは子供が勝つことで誕生になるからである。母体と胎児が綱引きをして最後に生まれ出て臍の緒は切られる。
 雨乞いや洪水抑制の祈りの最後に、さらには治水工事の完了の際に、臍の緒を切るように蛇神と見立てられた藁蛇や綱を切ったり弓で射るなどして神事祭祀が無事に終わるのだ。
 以上のように古代人は、出産時の臍の緒を見て、それを蛇が生命を生み出したと考えた。これが蛇信仰の始まりであったと考えたい。

 蛇足だが、現代の開通式や竣工式のお披露目として行う儀式にテープカットがある。アーサー王の時代からあったといわれる。これも関係があるかも知れない。作られた建造物はテープを切られることで初めて稼働できる。テープは蛇に見立てた臍の緒なのだ。出産後の緒を切り離す際には医療用の刃物が使われるようだが、テープを切るハサミも専用のハサミが使われるのだ。

注1 福岡県筥崎宮(はこざきぐう)の境内にあるご神木「筥松」の由来 神功皇后は生んだ応神の胞衣、臍の緒を筥(箱)に入れて岬に埋めたところに標(しるし)として松を植え「筥松」と名付けられて以後、筥松のある岬(崎)ということで「筥崎」の名が起こったと伝わっている。

参考文献
南方熊楠 「十二支考」 全集1
谷川健一 「蛇 不死と再生の民俗」冨山房インターナショナル 2012
吉野裕子 「山の神」「蛇」「日本人の死生観」講談社学術文庫など
堂野前彰子「日本神話の男と女 性という視点」三弥井書店 2014
服部英二 「転生する文明」藤原書店 2019
木下 忠 「埋甕、古代の出産習俗」考古学選書18 雄山閣 2005
緬甸史G.E.ハーヴェイ 著, 東亜研究所 訳. 東亜研究所, 昭和19
原尻英樹 「三池・大牟田の大蛇山祭り」『東シナ海域における朝鮮半島と日本列島』かんよう出版2015
小島瓔禮 「蛇の宇宙誌」東京美術1991
大林太良 「神話学入門」筑摩書房 2019
米山弓恵 「神話と祭礼の文化地理学的研究」ネット掲載
櫻井龍彦 「江戸期までの綱引き風俗図誌の集成と考察」ネット掲載

※古田史学論集 第二十三集に所収のものを改訂したものです。