手あぶり正面
 
DSC_0850 手あぶり土器
    12.8.29久々野歴史民俗資料館
 岐阜県高山市久々野町にあり、縄文時代の堂之上遺跡の竪穴住居などを復元した公園と隣接しています。
 写真の土器のデザインは展示品の中でも特に気を引くものです。顔が表現されたように見えますが、縄文土器ではよく使われる文様の配置が、たまたま顔に見えただけとも思えます。土偶によくあるぽっかり空いた口や眉毛も見当たりませんが。でもその土器の横からを見ると子蛇を描いたような曲線が付けられており、これは明らかに耳の表現で、やはりこの土器の表面いっぱいに顔を表したものと考えられます。他にも、土器に顔が描かれたものがありますが、その多くは、土偶によくあるようなやや野暮ったいものですが、これはなにやらアートな顔表現、スタイリッシュな風貌に感じます。おでこに円文があって小孔が見られるのは、なにかの飾りを着けていたかもしれません。これは、ヒトの顔を描いたのか、それとも神の表情なのでしょうか。
 
 少し気になるのが、この土器を「手焙型」とプレートに記されていることです。炭火で暖をとる手焙に似た手焙形土器は、実際の用途は不明ですが、作成された時代は弥生時代です。市原手焙土器写真にあるようなものとはとても同種のものとは言えません。今現在は改められているのかどうかわかりませんが。この縄文土器が「手焙形」土器とされたのは、戦前の調査報告から踏襲されているようです。
 岐阜県文化財保護センターの『阿多粕遺跡報告書1998』の渚遺跡の項目に、次のような箇所があります。「縄文土器の口縁部が見つかり、内部に灰が入っていたという。土器を埋設した炉の可能性もある。また、その付近から縄文中期の土器の完形品が出土しており、いわゆる手焙形土器と報告されている(江馬1937)」

久々野器台土器
 顔表現の土器も祭祀用かと思われますが、他にも、神への捧げものを載せていたかのような高い脚の付いた器台のような34号住居址の土器は、古墳時代の須恵器によくある器台と何やら形状が似ているように思えます。時代を越えて同じような祭祀が行われていたのかもしれません。

炉石棒
 他に館内には四角に石棒を建てた炉のパネルと、その丁寧に作られた彫刻石棒が展示されています。四方に配置された4本の石棒は何を意味するのやら。信州の諏訪神社本殿の四方には、祭りの最後に御柱が立てられますが、各地の小規模な祠にも四方に小さな柱が立てられています。同じような意味があるのでしょうか。この炉は、単に生活のための炉と言うよりも、まるで拝火檀のようなものとして使われていたのではと妄想しています。