土版大湯
    秋田県鹿角(かずの)市大湯環状列石後期BC1800頃 高さ5.8cm

 滋賀県のミホミュージアムの土偶展で見た時に、とても小さくてかわいいと思いましたが、これをシャーマンが呪術などに使ったかどうかはわかりません。だがこの土版、小型であっても縄文人がある程度の数字の認識、簡単な算術を駆使していたことを示す重要なものと思われます。
 口が1、眼が両目で2、右胸が3,左胸が4、中央の線(土偶によく見られる正中線)が5,裏側の後頭部の左右の3+3が6と、体の部位が穿孔や刺突点で表されるという、極めてユニークなヒトガタの土版です。なお、中央下部の四角は、東北の土偶によく見られるふんどしや下帯の表現と考えられます。
 特に興味深いのは、裏側の後頭部の左右の3と3で、ちょうど耳を表しています。そうすると、縄文人は、言葉として耳のことを3と3の「ミミ」と呼んでいたのではないかと思ったりします。しかしこの場合は次のような疑問も生まれます。では、口は1だから「ひー」と呼んでいたのか、眼は2だから「フー」と呼んでいたのかと突っ込みが入ってしまいます。よって、耳のことを「みみ」とか「みー」と呼んでいたかは、可能性はあっても断定はできないことになります。

 研究者の中には、他の数字の表現と考えられる刺突点のある土偶などと合わせて論及されておられる方もいます。ただ少し気になることがあります。
『算術する縄文人』で藤田富士夫氏は、この土版のところで、顔面表現である耳がなぜ裏面、後頭部に描かれているのかが疑問だったが、表裏関係の数字資料と見れば疑問は解決するとし、胸と正中線の3+4+5の合計12で、裏面は3+3の6でその倍数が表側の合計の12となるとされます。他の事例も出されながら、これらから2倍数の関係が示されるというのです。ただこれは納得しがたいです。そもそも、耳表現を裏側に回したのは、顔面が目と口があって、これ以上は点を彫り込めなかったからに過ぎないのではとも思えます。だいたい、表側の眼と口の合計3を無視して、2倍数だ、などとはちょっと無理かなと。
 同様に、小林達雄氏は、同じく耳の3+3に関して次のように述べておられます。「6を単純に3と3の分かち書きしただけではなく、整数を二倍することで霊力を倍加させる効果を目論んでいた可能性が高いとみる。」と説明されていますが、これは、先の藤田氏の論考を受けてのものかと思いますが、「霊力を倍加」する意図があったのかどうかはむずかしいところです。さらに気になるのが、続けて「この2倍効果は世界各地の民族誌にいくつもの例をみる通りである」とされて、その付注で、「かって大林太良先生にご意見をおうかがいした所、御賛同を得た」とのお墨付きとなっています。しかし、具体的な世界の民俗事例の紹介はありません。はたして「2倍効果」といったようなことが言えるのでしょうか。
 三浦茂久氏は、和数詞と織物の作業の糸の数に、倍加法が見られるとされています。
「和数詞は、ヒト(ツ)・フタ(ツ)、ミ(ツ)・ム(ツ)、ヨ(ツ)・ヤ(ツ)、イツ・トヲのように音韻を変化させた倍加法によって成りたっている。これは、織物に用いる経糸を整経するとき、糸を指・へら、経箸などに掛けて、滑らしながら引き出し、杭・木釘に掛けて戻る作業に起因する。(中略)そうすると一本の糸は二本に生まれ変わる。三本ならば六本に、四本ならば八本になる。これら倍加法の和数詞は、延ばした糸の名が変化した語である、そして機を織るとき、半数の糸が上糸、残りが下糸になる。古代日本の整数八、八十は糸の四筋八本を一手、四十筋八十本を一升(ひとよみ)とする織物作業の単位であった。たとえば四本の糸を延(は)えて十回往復すれば、八十本一升となる。これらの習俗は中国南部の江南付近から韓半島や日本に持ち込まれたものらしい。かって織物は多くそれぞれの家庭で行う自家生産で、主に女性が機織りに従事していた。」
 織物作業の中で、しぜんと数字の倍加法を駆使するようになったということではないでしょうか。そしてこういったことから、倍数の考え方が、広く使われるようになったというのが、世界の民俗誌にあるのかもしれない。小林氏の民俗誌の例で縄文の2倍効果を判断するというのであれば、織物の例とは異なるようなもう少し具体的な事例を出されないといけないのではと思われます。そうでないと、数字を2倍することが霊力を倍加させるとか、どうしてそんなことが言えるのかと疑ってしまいます。
 小林氏はさらに、三内丸山遺跡の六本柱もまた3本と3本が向き合い、合わせて6本というのが重要で、「縄文に根ざすアイヌ文化において6が聖数であることにつながる」「元を糺せばアイヌの6も実は縄文観念以来の、聖数3に由来し、二つの3の合体を意味するのではないかと考える」といわれるのですが。織物の事例をあげましたが、縄文時代にも編み物による篭などが見つかっています。簡単な機織りも行っていたのではないでしょうか。そうすると作業していた縄文人たちも、自ずと数を倍加法でみることを身に着けていたとも考えられます。そのような中で、おそらく一人の女性が、この3+3を6とする数字を表現した土版を作ったと想像してもいいかもしれません。
 ここは、むずかしく考えずに、縄文人の遊び心による作品として鑑賞すればいいのではと思いますが、もちろん列島のみならず大陸で新たな類似の表現の出土例があれば、数と信仰に関係する研究を深めていただいたらと思います。

参考文献
藤田富士夫『算術する縄文人』 ネット掲載 元は『列島の考古学Ⅱ』所収の「縄文人の記数法と算術の発見」
小林達雄編著『世界遺産縄文遺跡』同成社2010
三浦茂久『銅鐸の祭と倭国の文化 古代伝承文化の研究』六一書房2009

写真は、HP「北海道・北東北の縄文遺跡群」より

※三内丸山遺跡の6本柱の復元の問題点については、こちらで説明しております。