◇九州年号一覧表 (倭国年号とも表記)
701年からの大和朝廷の「大宝」以前の517年より、九州王朝によって作られた年号。
九州年号については、後世の偽作といった論調がありますが、例えば聖武天皇は神亀元年(七二四年)十月一日の詔勅の中で、 「白鳳より以来、朱雀より以前、年代玄遠にして、尋問明め難し」(続日本紀) と紛れもなく九州年号にふれられている。この聖武天皇の言葉を無視していいのでしょうか?
・日本書紀では、「大化」(50年繰り上げて記載)「白雉」(2年繰り上げて記載)「朱鳥」(元年のみ記載で九州年号朱鳥と同一年)以上の三つがあり、表では天皇の紀年と同列に記載した。
・年号の訓みは、その多くは推測であることをお断りしておく。
また九州年号とは別に以下の年号がある。
・「法興」:591~622「法皇」としての法号で、多利思北孤一人に属する「法号」を用いた仏教上の年紀で、「大王」としての年紀である九州年号とは「住み分け」されていた。(正木裕)
法隆寺釈迦三尊像光背銘の「法興元三一年」(六二一年)とある。
・「聖徳」:629~634 法興年と同様に利歌彌多弗利の法号年紀と考えられる。
・「中元」:668~671 九州王朝の系列の近江王朝の立てた年号。天智七年戊辰(六六八)の天智「即位」年を元年とし、「崩御」する天智十年(六七一)まで四年間続くもので「天智の年号」と考えられる。
・「大長」600年代半ばから後半の年代と考えられるが、詳細は不明。
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