3. 狭穂彦王のセリフ、「枕を高くして百年を終える」という現代語訳の疑問
次は、日本書紀の垂仁天皇紀の狭穂彦王と妹の狭穂姫が、天皇殺害を企てるも果たせずに自分たちの身を亡ぼすという顛末の説話。妹に対して、狭穂彦王の次のような台詞がある。
「必與汝照臨天下、則高枕而永終百年、亦不快乎」
垂仁天皇の后で自分の妹である狭穂姫に、狭穂彦王は「お前と一緒に天下に臨むことができる。枕を高くして百年でもいられるのは快いことではないか」(宇治谷孟現代語訳岩波文庫)と天皇暗殺をせまるセリフがある。しかし百年もいられるとはどうでしょうか。もし妹が上沼恵美子のような女性なら、「あんたぁ!いつまで生きる気やねん」と突っ込まれるでしょう。さらに小学館日本古典文学全集の現代語訳でも、「必ずお前とともに、天下に君臨できるならば、枕を高くして、長らく百年も時を過ごすことも、また快いことではないか」とあるように、百年という時間を過ごすというセリフになっているが、それはちょっとありえないのでは。この場面は兄妹で謀議を図るたいへんシリアスな場面であり、冗談が入る余地のないところだ。
この百年は二倍年暦と考えられるかもしれない。実際は五十年とすることが適切と言える。あと五十年、枕を高くして寝よう、ということではないか。ただ、自分たちの余命を台詞とするのはどうもしっくりいかない気もする。他に二倍年暦で単純に考えられないのではないかという事例がある。
この「百年」は、日本書紀ではもう一カ所登場する。それは天武の台詞で、壬申の乱となる挙兵を決意した際に次のような言葉がある。
「獨治病全身永終百年」
岩波の現代語訳では、「ひとりで療養に努め、天命を全うしようと思ったからである。」と百年を天命と意訳されている。小学館でも「病を治して健康になり、天寿を全うしようとしたからにすぎない」とここでは百年は天寿の意味とされている。百年が人間の一生を表す言葉として使われ、しっくりくる意訳となっている。同じような例が、三国志にもあった。
「魂而有霊,吾百年之後何恨哉」(三国志・魏書一・武帝紀)
曹操の台詞だが、現代語訳として「霊魂というものが存在するならば、わしの死せるのちもなんの思い残すことがあろうか」(『正史三国志』今鷹真・井波律子訳 筑摩書房)と、この百年が寿命の意味に使われている。
そうすると狭穂彦のセリフも枕を高くして百年生きよう、という意味でなく、残りの人生を安心してすごそう、という意訳のほうが現実的と考えられるのではないか。
訳された方が、天武の場合は百年を人生という意味で解釈されているのに、どうして狭穂彦の台詞は年数を表す百年とされたのかはよくわからないが、この場合も残りの人生といった意味の台詞にした方が良かったといえる。また古語としての「百」にはたくさん、といった意味でも使われている。残りの人生という言い方は、やや否定的にも感じられるので、多くの時間を有意義にすごそう、といった意味合いにしてもいいかもしれない。
では、ここでは二倍年暦は全く関係ないのであろうか。現代は、保険会社などのキャッチコピーで、人生百年時代とよく言われている。しかし、古代の場合は長寿もいたであろうが、多くは百年も生きられなかったであろう。当時は五十年が寿命の目安と考えられ、それが二倍年暦で百年となるので、そのまま百年が人生の意味になった、とは考えられないか。わずかな可能性を残しておきたい。