⑴神功皇后と忍熊王(オシクマノミコ)
次田正幸全訳注の講談社学術文庫版の現代語訳を、一部を割愛しながら記す。
「忍熊王の反逆
息長帯日売命(オキナガタラシヒメ=神功皇后)が、反逆の心を抱いているのではないかと、人々の心が疑わしかったので、棺を載せる船を一艘用意して、御子(後の応神天皇)をその喪船にお乗せして、まず「御子はすでにお亡くなりになった」と、そっと言いもらさせなさった。こうして大和へ上ってこられる時、オシクマノミコは、軍勢を起こして皇后を待ち受け迎えたが、そのとき喪船に向かってその空船(ウツホフネ)を攻めようとした。そこで皇后は、その喪船から軍勢を降ろして相戦った。」
この中の空船については以下のような注釈がある。「からの船、人の乗っていない船、と解釈されてきたが、ウツホフネと読んで、母子神がうつぼ船に乗って、海浜に出現する、という古代信仰に由来すると見たい」とある。空船が信仰と関係するという考えは、納得はできない。それでは神功皇后の巧妙な作戦の話が生かされないのではないか。ここはやはり、空は「から」であって敵をだまして無人の船である空の船を襲撃させて、兵士を潜ませていた喪船から、攻撃を仕掛ける、というのが話の筋として通っているように思える。
この物語は、トロイの木馬によく似ている。兵士がこもった喪船が木馬に当たるのだ。ギリシャ軍はトロイ城を攻めあぐね、戦いを断念したとの情報を流し、巨大な木馬を残して撤退する。木馬を戦利品として城内に引き込んでしまい、潜んでいた兵士によってトロイ城は一夜にして陥落する。この史実とされる物語の要素、プロットを参考に喪船の話は作られたのではないだろうか。御子が死んだと嘘の情報を流すのも、ギリシャ軍が戦いを断念したとの偽情報を流すのと同じことだ。
金関丈夫氏は『木馬と牛馬』において、トロイの木馬が中国では巨大な石牛になって敵をだます話があることや、水滸伝にも無人の糧船を装って敵に侵入する話のあることなどを紹介している。
⑵舟だったかも知れないトロイの木馬
最近、海外の研究者が、木馬というのは誤訳で実は馬の頭の形を先に付けた船、馬頭船だったという説を発表されているようだ。たしかに戦争状態の中、敵から巨大な木馬のオブジェをもらって喜ぶのはおかしいといえる。それが馬の頭のついた巨大な船ならば相手も実利的な価値もあるので獲得しようとしたならうなずける。もしこれが真実なら、神功皇后の喪船の説話はよりいっそうトロイ戦争のエピソードに近いことになる。先ほどの水滸伝の場合も船が登場する。
トロイの木馬のプロットは、その話の面白さから現代のドラマや映画にも取り入れられているのはうなずける。イギリス映画「U-157」(2000年制作)では、ドイツの潜水艦が故障して漂流していることをキャッチした連合軍は、暗号解読のためにそこに搭載されている暗号機「エニグマ」を奪取しようと、自国の潜水艦をドイツ風に改造して相手に近づくという話である。兵士たちの会話の中で「トロイの木馬作戦」というセリフを言わせてネタ元を明らかにしている。他にも世界中で今も類似の話がつくられているであろう。それだけ偽装作戦というこの話が、人々に共感するものがあるのであろう。だから古代においても、最初にある場所で生まれた話が面白ければ、話好きの商人や遠方に渡る人々によって、世界各地に語り継がれていったのであろう。そして、古事記の執筆に関わった人物に、大陸文化を良く知る人物がいたのではないか。
記紀説話には、こういった大陸文化の要素を取り込んだ例がたくさん見受けられる。天若日子(アマワカヒコ)の返り矢とニムロッドの矢の話の類似など、早くから研究者による指摘がある。こういったことも踏まえて、見直していきたい。