スサノオは謎の多い神と言われている。出雲国風土記では地元の農耕民の守り神として語られているが、かたや記紀ではオロチ退治で英雄視される一方で、アマテラスが岩戸に引きこもる原因となった乱暴狼藉を働く悪神でもあった。二重人格とも取れる、なんともつかみどころのない神として様々な解釈が行われてきた。だが山口博氏の『創られたスサノオ神話』によれば、乱暴な行為は農耕民族の立場からはそのように見えるのだが、騎馬遊牧民にとっては当たり前の行為であって、異なる文化の性格が付加された神であるとする。
 氏の論拠の主なものを以下に挙げていく。
①田の破壊行為(畦道破壊・渠埋め・種の重ね蒔き・縄をめぐらす・馬を放つ)これらは馬の放牧の為に牧草地を確保する行為であるという。土地を乾燥化させてなだらかにして、種をまいて草原にするのである。書紀には斑毛の馬を放す、とあるのはまさに放牧の始まりを意味する。
②スサノオがまき散らす糞。遊牧民は防寒対策として、床や壁に獣糞を塗り込んだり敷き詰める。また獣糞は乾燥させて燃料にする。のろしは狼の糞を燃やして煙を出すから狼煙なのだ。中国『金史』列伝にも「天寒擁糞火讀書不怠」とあり、学問好きの劉煥が寒い日には「糞火」を抱え込んで読書をしていた。なお、『古語拾遺』には「屎戸」としてその割注に「新嘗の日に当りて、屎を以て戸に塗る」とあるのも傍証になる。
③馬の皮を剥いで天上の穴から投げ込む。これは生贄の皮を奉納する行為であり、遊牧民の住み家である天幕に天窓がついている。斑の馬なのは斑文様の動物が聖獣とされたからで、例えばペルシャの『アヴェスター』には、斑文様の犬を聖犬とし、中国でも眉間に黒斑のある白虎を騶虞(すうぐ)として想像上の動物である麒麟とともに聖獣とした。記紀での行為は、アマテラスという太陽神に生贄を奉納することとなる。
④スサノオの髭が長くなっても泣き止まず青山を枯らし、川海は干上がる。髭が長いのはコーカソイドの特徴。
 枯れた山、干上がった河はユーラシア大陸の砂漠地帯の特徴を表している。
⑤泣き続けるのは、北方文化の信仰上の習俗、神招の呪術。天若日子の葬儀に哭き女役の雉がいる。
⑥スサノオを待ち構える武装したアマテラスの描写は、多数の矢の入った靫を背負うなど騎馬民族の武装の表現。また古事記の「堅い地面を股まで没するほど踏み込み」とは、力士の表現といえる。
 他にもあるが省略させていただく。次にここに私見を加えさえていただく。

 二重人格などともいわれるスサノオの矛盾した性格は、山口氏の北方文化の視点でみると、その謎は見事に解決できる。アマテラスが糞がされた宮の席に座ってしまい、体が臭くなってしまった、などという実に変な記事があるのも、納得できるのである。動物の糞の有効利用という日本の中では考えにくい大陸の文化なのだ。古代の遺物、日本書紀や古事記などには、大陸からの移住民たちの痕跡をいくつも見いだせると考えている。もちろん、スサノオそのものは神話とされるものだが、その記述には、実在の大陸文化をもって渡来した指導者、集団が神として描かれているのであって、その内容はリアルな古代の史実の反映と考えられる。さらには神話以降の歴史上の人物に関しても、その影響は多数存在するのではないだろうか。今後も山口氏の文献などを使わせてもらいながら、この問題について探っていきたい。