ソグド人とは?

以下は、各文献からの抜粋、メモです。

『シルクロード世界史』 森安孝夫 講談社2020
・胡 漢字で蘇理 インドの悉曇文字(ブラーフミー文字)でSuli(スリー) 玄奘の伝える穿利や義浄の伝える速利と語源を同じくしてソグドを意味する。
・印欧語族のイラン語派に属するソグド語を話し、現在のウズベキスタンを中心にタジキスタンにまたがる旧ソグディアナを故郷とする農耕都市民。  特に紀元後の一千年紀の中央から東部ユーラシアで国際商人・軍人・政治家・外交官・聖職者・芸能人などとして大活躍したが、1200年頃までには、ペルシャ語やトルコ語を話す人々の集団に飲み込まれるようにして史上から消えていった。
・新羅、渤海国にもソグド人 黒貂(クロテン)高級毛皮をソグド商人は扱った。
 826年渤海使を迎えた右大臣藤原緒嗣(おつぐ)は渤海使のことを評して「実は是れ商旅」と断じている。

『岩波講座 世界歴史6』 岩波書店 2022
・ソグド商人は、彼らのコロニーに居住する商人で広くても数百キロほどの範囲。
・ソグド人の東方進出 仏教の東伝と期を同じくする。盛んに取り扱ったのが沈香、白檀、丁香。
・6世紀以降、中国内地に移住集落を設置していたが、7世紀には多くの居住ソグド人が仏教に改宗したという。

『ゆーろ・ならじあQ』森安 孝夫 奈良県立大学ユーラシア研究センター事務局編 2022
・胡姫はペルシャ人でなくソグド人の女性 
 胡椒・胡琴・胡紛・胡坐  草原の道沿いにいた遊牧民が仲介
 胡瓜・胡麻・胡桃     農業盛んなオアシスの道に沿って伝来
 元来は、遊牧民を指した胡が、徐々に西域の農耕都市民を中心とする異民族を指すようになる。
 薩宝、以前は薩保(さつほ) キャラバンのリーダー 胡王とも呼ばれた。

『草原の制覇 中国の歴史3』古松崇志 岩波新書2020
・中国にやって来たソグド人は、北朝時代の5世紀後半以降、中国の風習にあわせて出身地別に既存の漢語の姓を選んで名乗るようになった。ブハラ出身ならば安、キッシュ出身は史、サマルカンドは康、タシュケントは石、ソグド姓という。
・ソグド人はみずからの言語を維持しつつ、必要に応じて複数の言語を話すポリグロッド。ゾロアスター教、マニ教、イラン起源の宗教、仏教も。

『ゾロアストリアニズムと奈良』 奈良県立大学ユーラシア研究センター編著 2022
・奈良におけるゾロアスター教。1~3世紀中央アジアからインド北部にかけて、イラン系のクシャン王朝が興り、2世紀半ばのカニシカ王(1世)の時代に最盛期を迎える。その頃使われたコイン多数発見。その中に、表側にオルターを持った王、裏側に様々な神格が描かれたものがある。同じ意匠が法隆寺四天王立像の「多聞天」で、コインに彫られた王と同じように、右手に火の燃えさかったオルターに似た「宝塔」、左手に長い棒の戟(げき)を持っています。
・イラン文化渡来説
 ①法隆寺白檀香木112号・113号(761年伝来)
 ②正倉院、グラスのサーサーン王朝風
 ③東大寺宗教儀礼におけるゾロアスター教的要素  修二会(お水取り)盂蘭盆会
 ④當麻寺のソグド風増長天立像
 ⑤唐招提寺の薬師如来像の左手に埋められた貨幣
 ⑥群馬県内多胡碑 胡、羊
 ⑦万葉集 イラン語詞 巻2の160 持統天皇の和歌の引用 面智男雲(面知日男雲)
  その他 唐代に噴水施設はない。(飛鳥の石造)トカラ人が伝えた。

・(青木健「唐風文化から汎ユーラシア文化へ」) 20世紀後半から、東洋史研究によって「発信源」と見られた隋・唐帝国の文化それ自体が、鮮卑文化・トッケツ文化・ソグド文化・ペルシャ文化・漢文化・仏教文化の混合体で極めて汎ユーラシア的な性格を帯びていたことが明らかになってきています。

『シルクロード 流沙に消えた西域三十六か国』中村清次 新潮社 2021
・わし鼻で深い目、鬚が多いとされるイラン系のソグド人。
・ソグド成功の秘密は、1.シルクロード沿いにコロニー、植民集落を建設。  2.突厥やウイグルなどの遊牧騎馬民族の中に入り込んで、彼らを背後で操ったこと。
 ソグドのキャラバンは、ソグド人の植民集落へ中継方式。