図は古田武彦氏の『鏡が映す真実の古代 三角縁神獣鏡をめぐって』(ミネルヴァ書房 2016)のP236に掲載の和田喜八郎の所有していたという鏡である。
※タイトルの東日流外三郡誌は「つがるそとさんぐんし」です。
※タイトルの東日流外三郡誌は「つがるそとさんぐんし」です。
古田氏はこの鏡について次のように書いている。
「和田喜八郎氏の収蔵品(発掘物)中に,一個の前漢式鏡がある(図2︱36。注=なお銘文は本書一〇三ページ参照)。立岩出土のものと酷似している。学問的発掘でないため、その出土位置や出土状況が判明しないのは、残念であるけれど、「津軽︱筑紫」のつながりを暗示するもの、として注目されよう。」以上。
私はこの図をみて気になったので調べてみたが、すぐに出所がわかった。古田氏は、「立岩出土のものと酷似している」と書かれておられるが、それもそのはず、これは、福岡県飯塚市立岩遺跡の連弧文「日有喜」銘鏡(1号鏡)のレプリカなのである。

福岡県飯塚市立岩遺跡の連弧文「日有喜」銘鏡(1号鏡)
飯塚市デジタルミュージアムで写真の閲覧可能だ。その図を利用させていただいて比較してみた。なお、図を合わせるために本物の図は回転させて掲載した。
比較してみると細部の違いがよくわかる。
鈕の周囲の12個ある円文が小さい。他の内行花文鏡を見ても、円文の小さいものはない。
その円文を取り巻く3列ある斜線(櫛歯文)の間隔があいており本数が少なく、非常に雑だ。 下の拡大図を見ていただくと一目瞭然であろう。右が本物。

銘文も異なる。銘文の彫りが浅いのか弱弱しく、文字そのものは合っていても全く違う彫り方だ。
その円文を取り巻く3列ある斜線(櫛歯文)の間隔があいており本数が少なく、非常に雑だ。 下の拡大図を見ていただくと一目瞭然であろう。右が本物。

おわかりいただけたであろうか。和田喜八郎のものが偽物、レプリカであることは明白である。しかも、最近のネット掲載のレプリカよりも質が悪い。調べてみると、これと全く同じ図柄の鏡の複製品がネット販売されているものを見つけた。(これも怪しいサイトです)
この最近のネットでの複製品と本物と比較すると、和田喜八郎所有のものよりも、はるかにリアルである。喜八郎はいつどこで仕入れたのか不明だが、現代のものより質が落ちるものを手にしたのだ。
この最近のネットでの複製品と本物と比較すると、和田喜八郎所有のものよりも、はるかにリアルである。喜八郎はいつどこで仕入れたのか不明だが、現代のものより質が落ちるものを手にしたのだ。
これを古田氏に見せて、信じ込ませたというのも恐れ入る。もしこれが本物なら、重大な問題であり、大きな話題になるはず。疑うことなく信じた、あるいは騙されたというのも残念だ。とてもではないが、「筑紫と津軽」の関係など言えるものではないのである。
古田氏は他の教授に対して、さらに研究会のメンバーの発表するものには、厳しいことをよく言われたようだが、自分自身は、疑うことをされず、喜八郎の言うがままを盲信してしまった。他にも室見川の銅板(こちら)もだが、古文書の一字一句に厳しい目を注がれていたはずの古田氏が、その一方で、安易に信じ込まれるというのは、どうしたことであろうか。
古田氏は他の教授に対して、さらに研究会のメンバーの発表するものには、厳しいことをよく言われたようだが、自分自身は、疑うことをされず、喜八郎の言うがままを盲信してしまった。他にも室見川の銅板(こちら)もだが、古文書の一字一句に厳しい目を注がれていたはずの古田氏が、その一方で、安易に信じ込まれるというのは、どうしたことであろうか。
そして、この写真の数ページあとのP240に、本物の鏡が「連弧文銘帯鏡」として掲載されている。同書は編集本なので、時間差のあるものが連続するのであるが、この写真と喜八郎所有の図が酷似していることに気が付かなかったのであろうか。この図を掲載した出版社も、校正作業の中で、確認することはされなかったのか、残念である。






