カスピ海の東隣りのアラル海から東南方向に、ソグド人のホーム・グランドである二十余国の都市国家からなるソグディアナがあった。彼らには、漢文史料によると出身地別に漢語の姓が付けられて、何世代にも用いられ続けていたという。ソグド人の中国姓で出身地がわかるというのである。以下はその都市国家名。
タシケント=石国、ウスルーシャナ=東曹国、カブーダン=曹国、イシュティハン=西曹国、マーイムルグ=米(マイ)国、サマルカンド=康国、クシャーニーヤ=何(カ)国、シャフリサブズ=史国、カルシ=小史国、ブハラ=安国、パイカンド=畢(ヒツ)国、メルヴ=穆(ボク)国、ナサフ=那色波(ナシキハ)国
他に現地名不明の烏那曷(オナナン)国。
またタラス、ホジェンド、ザンダナなどは漢字表記は不明。
さらに近年の中国でのソグド人墓の発見でその史料から、虞(グ)国、恵国、翟(テキ)国、魚国、羅国、また隋書、新唐書から場所は不明だが、火尋(カジン)、戊地などもあった。(山口2023)
『大唐西域記』颯秣建国(サマルカンド)条にすべての胡国の中心とあるので、サマルカンドの康国が盟主国であったようだ。
漢語姓をもったソグド人では、安史の乱(760年平定)の安禄山と史思明は有名。上記の国名の姓が必ずしもソグド人を示すとは限らないが、今後の研究でさらに明らかになっていくであろう。なかには日本にもやってきたソグド人も少なくないと考えられる。鑑真の渡海に随行した安如宝だが、これは8世紀のことだ。私は、もっと早くから渡来してきたソグド人がかなりいるのではないかと考えている。
たとえば韓国の研究者には、古事記の太安万侶は百済の史家の安万呂アン・マンリョ(金1972)という意見もある。当ブログでは、山口博氏の著書などを参考に、古事記、日本書紀に大陸文化の影響が多くみられることを述べているが、その執筆、編集にソグド人が関わっているのではと考えている。また、7世紀よりももっと早くから、彼らはやって来たのではないか、日本の政治文化に影響を与えることがあったのではないかと想定している。まだまだ確証となるものはなく、妄想のようなものかもしれないが、その痕跡といったものを探っていきたいと考えている。
参考文献
森安孝夫『シルクロードと唐帝国』(興亡の世界史第5巻)講談社学術文庫2016
山口博『ソグド文化回廊の中の日本』新典社2023
金逹寿『日本の中の朝鮮文化 3 近江・大和』講談社1972
※図は森安孝夫『シルクロードと唐帝国』による





佐原氏の著作には、「ガリア戦記」のシーザーのローマ軍の例で逆茂木の図との説明があるが、おそらくこういったものから愛知朝日遺跡の場合も、環濠から出土した杭などを、防戦のための逆茂木・乱杭だと決めつけたのではないか。吉野ケ里でも、防御的役割で遺跡の説明がされ、環濠に沿って外堤が盛られ、柵が隙間なく張り巡らされ、さらにはありもしない先のとがった杭を無数に並べるという虚構の復元が行われたのである。














