当ブログのタイトルの背景写真に使わせていただいたブルーのガラスの勾玉は、島根県出雲市大津町「出雲弥生の森博物館」の展示品。隣接する西谷(にしだに)墳墓群史跡公園の西谷3号墓の第一主体からの出土である。隣り合う第4主体が王墓とされ、二重の木棺からはガラス管玉が出土し、その在質はローマ製ガラスを使ったソーダ石灰ガラスで、他に第一主体と2号墓からも発見されているが、列島ではここだけのガラス製品だという。そしてコバルトブルーの輝く鉛バリウムガラスの二つの勾玉も特に珍しいものだそうだ。この第一主体の埋葬者は、第4主体の王の后と考えられている。
これらのガラス製品は、小寺千津子氏によれば朝鮮の楽浪郡で手に入れたという仮説を提示されたとのことだが、大陸や半島のどこかで手に入れた渡来の王とその集団が持ち込んだものではないかと想像する。
先ほどの小寺氏の『ガラスの来た道 古代ユーラシアをつなぐ輝き』(吉川弘文館2023)に、西晋の詩人潘尼(はんじ)の「瑠璃碗賦」の詩が引用されている。
「流沙の絶嶮なるを済(わた)り、葱嶺(そうれい・パミール)の峻危たるを越ゆ。その由来疎遠なり。」
ガラス碗がはるばるパミールの峻嶮を越え、中央アジアの流沙をわたり、中国本土にもたらされたことが詠まれている。同様に、中国からさらに列島にもはこばれてきたのであろう。そのはるか遼遠のユーラシア文化の、古代日本への影響や痕跡が少しでも見つけられたらいいかと思っている。
参考文献
渡辺貞幸『出雲王と四隅突出型墳丘墓 西谷墳墓群」新泉社2018