観音塚古墳は石室そのものは、あの巨大な墳丘を持つ奈良県見瀬丸山古墳を少し小さくしたものではあるが、たいへん立派な巨石が使われた石室を見に行ったのですが、蚊の襲来でそそくさと引き上げて、資料館に足を運びました。
この資料館の展示室の展示品の説明パネルに感激しました。ショーケースの始まりから端まですべて、壁面を最大限使った巨大なパネルには圧倒されます。観る者にはすごいインパクトとなって、引きつけられます。展示する側の意図、陳列品の何がすごいのか、どこを見てほしいのかが大変よくわかります。
館長さんと少しお話が出来ましたが、この展示は、前任の女性館長さんのアイデアだとか。あまり、男女の区別はどうかと思いますが、この場合はやはり女性ならではの感性で工夫されたと言えるでしょうか。
どこの施設の関係者のみなさんも、いろいろと工夫されているかと思いますし、予算の厳しい中、苦労を重ねておられるところが多いかと思います。見学者は、そのへんも気が付けるように見て回りたいですね。
はるか西方文化とのつながりがわかる貴重なもの。
承台(うけだい)付銅碗や豊富な馬具装飾品やなど、とにかく大陸とのつながりを実感できるものばかり。
観音塚古墳の解説パネルに、「渡来人を配下に編成して地域経営を行った東国有数の首長像が推定できよう」とあるが、これはどうであろうか。そもそもの渡来人は、どうやって列島に渡って来たのだ。リーダーがいて、いっしょに渡来してきたのではないか。「配下に編成」するというようなことは、同じ信頼できる渡来の実力者でないとできないのではないか。よって、丸山古墳との類似から倭国王権にも関与した騎馬遊牧民の末裔のリーダーの副葬品と理解できる。首長も渡来人としてこそ説明がつくのではなかろうか。
24.6.9
観音塚古墳の解説パネルに、「渡来人を配下に編成して地域経営を行った東国有数の首長像が推定できよう」とあるが、これはどうであろうか。そもそもの渡来人は、どうやって列島に渡って来たのだ。リーダーがいて、いっしょに渡来してきたのではないか。「配下に編成」するというようなことは、同じ信頼できる渡来の実力者でないとできないのではないか。よって、丸山古墳との類似から倭国王権にも関与した騎馬遊牧民の末裔のリーダーの副葬品と理解できる。首長も渡来人としてこそ説明がつくのではなかろうか。